福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.120(H09/1997.2) -002/042page

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特集 校内研修の活性化を目指して

岩屋写真

授業改善のための校内研修

〜「研究ごっこ」より「学習」を〜

伊達郡桑折町教育委員会教育長 岩谷 敬恒

1 はじめに

 新しい学力観が言われ出して、もう、数年になる。現場での悪戦苦闘は、哀れなほどで、いまだに、見通しさえついていないというのが、大半ではないだろうか。
 昨年まで、私自身も同僚たちと、学習し、議論し合い、実践しようと努力してきたが、最後まで、納得のいくことはできなかった。
 それは、明治以来の教育理念の転換を要求されることだからだというのが、結論だった。
 校内研修=現職教育=共同研究というシステムの中で、優秀な教員として、30年近く実践してきた50代前半の教員の意識改革は、並大抵のことではできないのも当然のことかもしれない。そして、この人たちが、各学年のリーダー的存在なのである。
 数年前、各学校の現職教育が、共同研究トイウシステムにこだわる限り、「研究ごっこ」の繰り返しで、「形だけ整えた内容の研究もどきの研究物が氾濫するだけ」ではないかと提案したことがある。
 しかし、現在は、もっとひどくなっているといわざるっをえない。
 研究のシステム、手法の画一化に止まらず、研究領域、場面まで画一化してしまい、それ以外のことを受け入れられないほど、教員の意識が硬直化してしまっているように思えるのは、わたしだけなのだろうか。
 「授業改善のために」行う「校内研修」なら、このへんで根本的に、その在り方を考えてみる必要があるのではないかと考え、議論のきっかけとして、提案してみたい。

2 現状の問題点  まず、第一に、現在の校内研修で最も気になることは、教材研究=指導技術論(最近の指導嫌いの人のために支援・援助技術論といってもいいが)になってしまっていることである。
教材の持つ本質について議論されることは、ほとんどなくなってしまったといえないだろうか。
 たとえば、1年生の算数で、2位数から1位数を引く、繰り下がりのある計算の初めての学習で、ある教科書は、「13−9」という問題で2時間、次に,[12−3」という問題で2時間学習し、最後に、1時間練習問題をやるように構成されている。
 そこで、この教科書は「なぜ、『13−9』が先で『12−3』を後にしているのか。その逆ではいけないのか。」を問うてみると、低学年を何度も受け持った経験のあるベテラン教員の半数以上が、答えられないという現実に直面すると、どうなっているのかと、首を傾けたくなるのは、当然ではないだろうか。
 当然、この教科書では練習問題の数字の組み合わせと順序についても細心の注意を払って


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