福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.121(H09/1997.7) -005/042page
問題ではない。
6 「生きるカ」と「知識・理解」の重層性
重層性とは、簡単に言えば、「知識・理解」の内容は、漢字の書き順やかけ算九九のように反復練習だけで直接習得できる層から、何かを学習することを通してしか学習できない層まで、いく重にも層になっているということである。「態度」とか「伍値観」などは最も上位の層と言えよう。
下の層には、さらに植物や動物の名前、地名や人物名などの固有名詞などが入るであろう。これらを学習するには暗記するのが手っ取り早いであろう。しかし、シダ類とか哺乳類、環境破壊とか参政権などの「概念」となると、単純に暗記することはできなくなる。
さらに文明の進歩と環境破壊との関係、民主政治における参政権の意義などとなると、いっそう上の層になるであろう。教科目標レベルの「国語を尊重する態度」「数学的な見方や考え方のよさ」「音楽に対する感性」「進んで工夫し創造する能力」などとなると、さらに上位に属するものと言えよう。
これらの層は植物分類図のように整然としているわけではないし、実際の授業は必ずしも下位から上位へと直線的に展開されるわけでもない。しかし、当面の単元目標や指導内容はどのような層でとらえられるのか、そして「木時」はそれらの中のどのあたりに位置するのかについて、ある程度の見通しを持っていることが重要になるだろう。
実際の授業は「本時」しかないのである。単元目標もその連続的な蓄積によってしか達成する方法はないのである。下位に属する暗記的知識だけから、一気に最上位に位置するような「態度」など形成できるわけがないのである。
それらの両極を結ぶいくつかの層をしっかり踏まえないと、単元目標の肝心なところは達成されないままになってしまうのである。そのような単元をいくっこなしても教科目標は達成されにくい。ということは、「生きる力」は形成されにくい、ということである。
「生きる力」の中には漢字やかけ算九九のような下の層から、さまざまな「態度」などの最上の層まで多様であるが、今日問われているのは、より上の層である。
このような重層性を意識しながら単元構成をし、日々の「本時」を位置づけるならば、「生きる力一を形成する筋道も少しは見えやすくなるのではなかろうか。
むすび
指導内容の「厳選」による「生きる力」の育成は、もはや議論の段階は過ぎたと言えよう。「精選」はこれまでも学習指導要領改訂のたびに指摘されてきた。今度こそ、用語を取り替えただけにとどめてはならない。
今、われわれは歴史の岐路に立たされているのである。
《註》
(1) 堺屋太一 『大変な時代』 講談社 1995〜昭司他人男先生のプロフィール〜
昭和10年山形県に生まれる 昭和33年 山形大学教育学部卒業、東京都足立区立東淵江小学校教諭 昭和35年 東京教育大学大学院教育学研究科入学 昭和42年 大東文化大学文学部講師のち助教授 昭和49年 福島大学教育学部助教授 昭和57年 福島大学教育学部教授 昭和58年 教育学博士(筑波大学) 平成元年 福島大学教育学部長(〜平成3年) 平成6年 福島大学教育学部附属小学校長(〜平成8年)