福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.124(H10/1998.7) -002/042page

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福島県教育委員会教育長 杉原陸夫 学校は何を教えるべきか、何を教えられるか

福島県教育委員会教育長  杉 原 陸 夫 



  黒板に書かれたことがすべてなら白いチョークをひとつ下さい

 今年6月29日付けの日本経済新聞の社説は、冒頭に、昨年、九州女子大学が主催した第1回全国高校詩歌コンクール短歌の部で、最優秀賞を受賞した福岡の女子高生の作品を紹介した後に、表題の言葉を続け、教育課程審議会の「審議のまとめ」に触れながら、終わりに、この短歌に答えるための提言を述べて結びとしていた。
 ここ数年、子どもたちのさまざまな行動があり、学校教育の在り方をめぐる議論が多くなされ、いわゆる全国紙といわれる新聞の社説などでも現状を厳しく問う論説が多く見られる。
例えば、「今の学校は、子供たちに未来の可能性だけではなく、その限界を思い知らせる過酷な仕掛けになっている。」(朝日 平7.4.24)とか、「いまや学校は、教師と子ども、子ども同士の心が通い合うなどという期待を抱くのも甘いといわれるほど、絶望的状況になってしまった。」(毎日 平7.4.24)といった具合である。
 また、学校教育についての社独自の世論調査の結果から、「自分の経験や新聞、テレビのニュースなどを通じて、学校や教師に不信感をもったことがある人は64%。不信感をもったことのない人の31%を大幅に上回り、学校教育への信頼の失望が危機的な水準に達している。」(読売 平8.2.18)と分析している記事もある。
 ここに掲げた各社の社説の見出しは、「玉手箱を子らの手に」(朝日)であり、第15期中央教育審議会の徹底的な論説を望む「教育の荒廃、徹底論議を」(毎日)であるというように、学校教育に対する、 社としての 厳しい現状認識に立った改革・変革のための要望であり期待が記されているのだと理解しているので、その内容の是非をここで論じることは本意ではないが、教育に携わる者は、その言葉を冷静に受け取り、謙虚な心で反芻(すう)することを避けてはなるまい。

 確かに、学校教育法が施行された半世紀前と現在とを比べ、社会の有り様は大きく変わっている。子どもたちの身体の変化だけを見ても、昭和24年の本県高校3年女子の平均身長は151.8pであったのに対し、平成9年では中学1年ですでに151.9pとなっている。また、顎(あご)の骨の容積が狭まる結果として乱ぐい歯となったり、知恵歯(親知らず)が生えない子どもの数が増える傾向にあるともいう。変化は言うまでもなくそれだけではない。
 今年の2月、京都市教委が、新年度から5ヵ年計画で市内の幼稚園を含めた全ての公立学校のトイレ改善のための「快適トイレ整備事業」をスタートさせることを明らかにしたとの報道があったが、温水洗浄便座の普及もあってか、幼稚園ではなく小学校でもトイレの使い方やお尻のふき方も指導の領域に加えることが必要になってきている、との養護教諭の声があることからも窺(うかが)い知れるように、子どもの生育環境も変わってきている。
 一方、大人社会においても、金融ビックバンなど、諸外国との国境を越えた交流に伴う変化の中で、予想外の速さで日本的雇用慣行が崩れつつあるとの指摘や、企業社会に依存して成立してきた日本の「中流生活」のぜい弱さを憂え


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