福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.124(H10/1998.7) -008/042page
真壁 そうですね。基本的生活習慣は家庭での部分が大きいと思いますが、自分の思い通りにいかないとダダッ子になってしまう。むくれて何を話してもブスッとしていつまでもいる、というような傾向が強くなってきているように感じられます。小さい頃から家庭の中で好き勝手なことばかりしてきているし、親も「いいよ」と何でもやりたいことはやらせてきてしまった。がまんするという体験がなくなってきている。いやなことがあると逃げるだけの生活になってきているのかな。
また、考えようとしなくなった、という話が先程ありましたが、私も同じように「生徒たちが考えなくなった」と思います。テレビをボーッと見ているとテレビが全部やってくれる、家の中では家の人がみんなやってくれる。学校でも問題が起こる前に先生がやってくれる。
しかし一方、友達関係でトラブルが生じると、自分たちで解決できず、些細なことでもうまくいかなくなるとすぐに相談に来ることが多くなったと思います。友達とのつき合い方が上手にできなくなってきているんですね。
また、先程、子どもたちが抑圧を感じながら生活しているという話がありましたが、目立つといじめの対象になってしまうという不安がものすごく大きい中で、生徒は生活していると私は思います。教室の中にいても自分を出せない。今の私たちのように、顔と名前が分かった、というだけで教室にいるのではないか、つらい状況や抑圧された気持ちで過ごしているのではないかと思います。藤田 保健室からは、もっといろいろなことが見えると思うのですが、伊深先生、どうでしょうか。
伊深 これまでの経験から見ますと、価値観が、親も含めてですが、子どもたちの価値観の違いが強く感じられます。それは髪型であったり髪の色であったり、また、スカートの丈であったり靴下であったりするわけです。校則違反に対して注意すると、見ているところとかこわい先生に前では注意されると直しますが、教師の目が届かないと違反を繰り返します。保健室に来る子どもは甘える傾向があるので、そんな折に「どうして直さないの」と注意すると、「かっこ悪いもん」という返事が返ってきます。
また、怪我をした子が、「いついつこういう怪我をしたんだがお金もらえんの?」と言ってくる。もらえるものはもらおう、という考えです。また、子どもの話から、、「昨日○○に行って買い物をした。お母さん、ドレスを買ったんだよ。」といった話をよく聞くが、その子の親は学校への諸費が未納なのです。親も自分の欲しいものは買う。諸費を納めるのを後回しにする。価値観が違いすぎるわけです。藤田 江戸時代から「今時の若い者は、…」という言葉があったように、いつの時代でも世代による価値観の違いはあったわけなんですが、怪我に対して「お金が出る」と考えることは成熟ですよね。そのように成熟していながら他の部分では成熟していないからおかしなことになってくるわけなんですね。昔は、払わなければならないものは払ったものですが、そういった、これまで「不易」と考えられていたことさえ、その価値観が揺れてきているということなのでしょうか。酒井先生、いかがですか。
酒井 中学生が荒れているといっても、いろいろと困ったことのあった子について、他の子どもたちが手伝ってくれてトラブルを解決していっ