福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.124(H10/1998.7) -010/042page

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 教師との人間関係も同様ではないでしょうか。例えば、放課後に子どもと何か話したいと思っても、放送で呼び出しがあって話すきっかけがなくなってしまい、声をかけた方がよかったのに何も話さないまま帰してしまった、といったことがよくあります。教師と子どもとの会話がどんどん減っているように思います。

阿部  私も、教師自身、子どもたちと触れ合う機会というか時間が少なくなってきていると思います。もっと、一人一人の子どもたちとじっくり人生を語り合ったりしてみたい。帰りの会が終わると生徒も係活動や部活動にと、とても忙しい。先生方も忙しい状況にあり、なかなか触れ合う時間が持てないのが現状です。やはり、教師側も生徒に信頼される立場に立つべきと思うが、どうしても心配な子や特定の子への対応に片寄りがちになってしまい、普通に生活している子がおざなりになってしまいます。
 親にしても、進路などともかかわって、子どもの付き合う相手を制限するあり様で、我々教師にしても思いや情熱がそれぞれの教師でまちまちになってきているように思う。何か悩みごとが起こっても自力解決を促したりして、最後まで入りこんでいけない先生も多くなっているのではないかと思われます。

  ここ数年、学校になじめない生徒が出てきましたが、そのような生徒と我々教師が深くかかわることで問題を解決できることもあります。この場合、学校としてチームを組むなどして組織だった対応が必要だと思います。例えば、別室登校していた子の場合、学年を中心に、校長先生、教頭先生、養護教諭も加わり、全員でその立場から指導を展開しました。それぞれの個性に応じて、悩みを聞き出したり、人生の体験や、専門教科の魅力などを話してきました。この場合大切なのは、この子が現在どのような状況で、前の時間はどういった様子であったかを、ちょうどリレーのバトンがわたるように共通理解を図って指導を展開しました。大変忙しい状況ではありましたが、教師集団が、この子を中心になんとかしようとして話し合いを重ね、教師間の関係も密になったように思います。
 一方、清掃時や放課後など、なにげない会話の中で、悩みを打ち明けてくる生徒はいます。教師は、生徒がくるのを待つだけではなく、子どもたちと積極的に関わっていこうとする姿勢が必要だと思います。また、教師は生徒が話してくる素地として、教科指導においても、自己の人生を語ったり、人間としてのより良い生き方や、進路に対する指導など話すなどして指導を展開していく必要があると思います。
 ところで、生徒どうしの人間関係はおおむね良好で、特に部活動に参加している生徒のつながりは、合宿をするとか作品を完成する場など様々な経験が多い分、強いものがあります。

藤田  教科指導や日常生活を通しての指導であれば、豊かな人間関係ができるということでしょうか。個別相談といった改まってのものよりもいいかも知れませんね。
酒井先生、どうぞ

酒井  周囲の人と深くかかわるのが減少しているということでは、大人の世界も同じだと思います。小学生くらいではそれでもうまく付き合っていますが、中学生の時期は難しい。高校に行けば判断力も出てくるのでしょうが、中学生の頃は出しゃばっているということで除外されていても、しばらくすると逆に除外していた側の子が除外されるなど、流動的で不安定な関係


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