福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.124(H10/1998.7) -011/042page
が多いように思う。
何とむなしいことをしているのかと思うことがあります。こうやって成長するのか、とも思うのですが、子どもによってはその段階で落ち込んでしまうこともあるわけで、先生方の援助が必要になることがあります。
藤田 確かに、大人社会も他とのかかわりが希薄になっていますし、違うタイプを除外しようとする傾向はあるかも知れません。しかし、学校というところは、子どもを受け入れて、子どもたちが安心して生活できるのが学校であるべきですし、その中で、子どもたちの心が育っていかなければならないと思います。学校がそういう意味で機能していないとすれば、どのような点が問題になるのでしょうか。
佐藤先生、いかがですか。佐藤 心の教育では、豊かな体験を取り入れることが大切であるといわれています。そう言われると、そこで、何か大きなものを求めたり、成果を上げなければと、教師自身が大上段に構えてしまったりすることがあるわけですが、「老人ホーム訪問」といった形だけが先行し、子どもたちの心にしみいるような実践になっていない、ということが問題と考えられると思います。
私たちの学校では、地道なものでいいから、学校、子どもの実態に合った取り組みが大切と考えています。地道な実践ということでは、例年苗から花を育てていたのですが、今年は種から育ててみました。いっぱい余ってしまったので子どもたちに「どうしようか」と相談をもちかけました。その結果、郵便局の花壇に児童が植えに行くことになりました。局長さんたちが大喜びしてくれて、何度も感謝し、うれしそうに写真をとってくれました。そんな姿を見た子どもたちは、「あんなに喜んで、あんなに写真を取ってくれて、花植えをしてよかった」と言いました。この感じる心が相手を思いやって行動する心につながっていくのではないかと考えます。子どもの日常の活動の中でこんな活動をしたら、些細なことでも、子どもにこんな感動を与えたり、心をゆさぶったりできると考えて活動させていくことが大切であると考えます。そのように考えられる教師の目、感性の豊かさをみがいていくことが大切だと思います。藤田 地道でも、ではなくて、地道でないとダメなのかも知れませんね。
真壁先生はどうですか。