福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.124(H10/1998.7) -013/042page

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藤田  心が育つ場としての学校の機能ということについて、星先生から伺います。

  これを解決するのは難しい。私は田舎育ちなもので、村の葬式というものは、その家全部が見えたものです。今の地域社会はよく見えない。考え方が分からないし、隣の人が何をしている人かわからない。職場社会や趣味社会になってしまっている、ということでしょうか。それぞれが小さい時から異質集団で育ってきて、いきなり学校という同学年の枠の中に入って固定した時間と固定した内容でやる、といったことで人間関係のバランスを悪くしているのではないか。発達段階でクリアしなければならないところをクリアしてきていないので、学校に来てバランスを悪くしている。物質的には豊かであるが、空間的なものは豊かではない。
 阿部先生、迎先生からあったように、教師は生き方や人生、先生の在り方、学校の在り方、といったことを様々な場面をとらえて子どもたちにもっと語るべきだと思います。また、伊深先生が言われたように、学校は開かれるべきと考えます。その意味で、学校裁量の時間は、学校が勝手にやる時間ではなく、もっと教師の夢やビジョンを語って、学校を皆で作っていくという時間にしたいと思います。

藤田  学校として子どもの人間関係をよくしていくには、何ができるのでしょうか。
 遠藤先生からお聞きしましょう。

遠藤  私たちの学校では、以前は八百名以上の生徒がいたのですが、今は二百名以上減ってきました。やっと普通規模の学校になったと言えると思います。そうした中で、今までの教育活動を見直してきています。児童数が多かった時はできなかったこともありました。少なくなった今年は、子どもどうしが触れ合う機会を増やすよう、学校行事や児童会活動の見直しを図りました。今まではそれぞれの学年の子が別々に遊んだり活動したりしていたものを、子どもどうしの連携を図ることを狙い、一緒にできるもの、「なかよしブロック」を作りました。交流給食では、給食を一緒に食べて、「1年生のお茶わん、小さいんだぁ」なんて感心している子が多かったです。自分たちもあの頃は小さいお茶わんで食べていたことは忘れているわけですね。また、遠足についても、6年生が、1年生と合わせて楽しく遊ぶことができるように計画を立てて取り組みました。こういった活動から、お互いに知り合い、「また遊ぼう」といったいろいろな会話が増えたように思います。そんなこんなで、上級生は下級生の気持ちが分かってきた、などといった声が出るようになってきました。
 このような活動を、学区内にある養護学校の生徒や一人暮らしのお年寄りとの触れ合いなどに広げていくようにしてきました。交流して初めてその人を理解できるわけで、様々な人と触れ合う機会を、我々教師側が意図的に設けていくことが大切なことではないかと思っています。

阿部  私は、もっと子どもたちに集団のよさを味わわせたい、一人一人もいいが集団もいい、ということを知って欲しいと思っています。学級の中の先生と生徒、生徒どうしの触れ合いが大切なのではないでしょうか。いろいろな活動場面において人との触れ合う機会を増やしたいと考えています。
 そういう考えから、なされなくなっていた方部生徒会も復活させました。お年寄りと接した

 

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