福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.124(H10/1998.7) -016/042page
もう一つ、心はそんなに簡単に育つものではない。結果を急ぎ過ぎてはならない。長いスパンで心の教育を考えていきたい、と思います。また、教師自身がモデルとなって欲しい。ある小学校にいた頃の話しですが、3qも歩いて学校に来る子がいました。また、片親で、日曜日にハイキングに連れていってもらえない子どももいました。そのようなことを知っておいて、意図的に子どもたちに伝えていきたいと思います。
藤田 子どもたちの心が、どのような学校生活の中で、どのような活動を通して育っていくかが、少し見えてきたように思います。まだお話になられていないことがありましたら。
はい、佐藤先生。佐藤 子どもたちに、なぜ学校に来るのかと調査をしてみました。給食・勉強・なんとなく・友達・学校行事等の答えが多く見られました。このような子どもと学校を結ぶ絆・パイプを太く多くしていくことが大切を考えています。先程の高校生が豚の子をかわいいと言った話のように、教師自身も“感動”することを大切にしたい。子どもに対して本気になって取り組めば、理解は得られると思います。ある時はきつくしかる、ある時は先生の失敗談を聞かせるなど、本気で対応することが大切と考えます。
子どもの教育に対して、親も教師も遠慮があるのではないでしょうか。教師は、親に対しても自分の教育に対する願いを明確に説明することが必要と考えます。藤田 遠藤先生の学校では積極的な取り組みをしていると聞いていますが、どうですか。
遠藤 「心の教育」は難しいな、というのが正直な思いです。教師側からは「豊かな心とは何か」を押さえていますが、地域から見た、考えた「豊かな心」とは、また、家庭から見た「豊かな心」とはどうなのか、考えなければと思います。連携ということを口で叫んでも動かないので、学校が中心になって活動の音頭取りをしなくてはならないのではないでしょうか。
学区内にはいろいろな家庭があるので、子どもたちに何が不足しているのかを考えたところ、本校では老人と過ごす子が少ないことが分かりました。そこで一人暮らしの老人に学校に来ていただき、子どもたちとの交流を行っています。以前は、老人からは学校に批判的な声もありましたが、この頃は少数ですが、「学校はこんなにも楽しいところなんですね」という声を聞くことができました。学校を理解してもらうためには、学校も骨を折らなければならないのではないでしょうか。藤田 なるほど、今日実践したからといって明日には育っているというようなことではないですよね。ただ、手応えがあるのはうれしいですね。骨を折らないとダメなんですね。
はい、阿部先生。阿部 弁当に日に持って来る弁当を見ると、手作りでなく、朝、コンビニで買ってきたものが多くなってきています。また、偏食の子が多いように思います。食生活がしっかりしていないからではないでしょうか。こうしたことを家庭にどう伝えていくかも考えていかなければならない。
また、入学式での担任発表の場面で、「当たり」「外れ」といった声が聞こえます。まさに学校批判、教師批判です。子どもの心がゆがめ