福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.124(H10/1998.7) -017/042page
られているケースと言えるでしょう。更に、子どもの夜に目を向けた場合、夜10時過ぎまで塾に通っている生徒もおり、そうした子は朝からグッタリしている。塾が本業で学校は息抜きとなっているようです。
真壁 学校としては、価値の多様化に対応していくのも大切だが、ダメなものはダメという指導も必要だと思います。会津には「ならぬものはならぬものです」といった教えがあるんですが、基本線をはずさない、基本線を押さえた指導をしていくことです。例えば、オープン・スペースでの学習でも、自由勝手に移動し過ぎるような場合、一定のルールや約束事を守って学習させていきたい。
もう一つは、学校での行事などで様々な体験をさせていく。そして、体験をしたことによって何を感じて何を育てていくのかを明確にして取り組んでいくことが大切だと思うんです。やりっぱなしではいけない。
最後に、やはり授業で勝負だと思う。授業の中で心が育つようにしていく。そしてそのために、地域の教育力を生かし、地域の教材をいかに発掘して息の課が教師として大切なことではないでしょうか。藤田 迎先生の学校は、いわゆる進学校と呼んでいいのでしょうか。受験と心の教育は話題になるところですが、どうでしょう。
迎 一部に“心の教育”の妨げとなっているものとして受験競争があげられているが、進学校に勤務する者として、必ずしもそのようには思いません。より高次の豊かな教養は心の豊かさやものを考える視点の確立に結びつきます。また、自己実現のために粘り強く努力する姿勢は、耐性や意志を育てます。さらに、授業においても、各教科の特性に基づき、“心の教育”は実践できるはずです。授業展開に着目すれば、生徒どうしが理解しあえる喜びや、伝達表現できたときの喜びが味わえるはずです。いわば、学校教育全般を通して“心の教育”をどう位置づけ、教師が共通理解のもと、どう展開していくかがカギとなるものと思います。
藤田 伊深先生、養護教諭の立場からのお話を聞かせてください。
伊深 小さい頃から叱られることが無く、ほめられることになれ、我慢することを覚えず育った子どもが多く、自分の意にそわないことがあるとすぐにムカツク生徒が増えてきたように思います。中学生は忙がしい。部活動をし、家に帰ると食事もせずに塾に行き、塾帰りにコンビニに寄りファーストフードの買い食いをし、自宅に帰れば一人で食事をし自分のへやで過ごす。このような生活をしているために家庭で息抜きがない、心身共に疲れている生徒が多いように思います。
子どもが少ないために過干渉な親が増えてきた反面、無関心な親がいます。子どものために自分の人生を犠牲にしたくない、自分の生き方を大切にしたいという母親が出てきています。忙しすぎる社会の中で親や子、教師にゆとりが無く、話す時間がなく、絆を深める余裕がありません。
今、子どもが持っている純粋な心をどうにかして伸ばしてあげなければいけないと思っています。それから、生徒が発するサインを見逃すことなく、子どもの純粋さを伸ばしていけるよう、自分自身の感性を磨く努力をしていかなくてはならないと痛感しています。