福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.125(H10/1998.11) -006/042page

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心 が 育 つ 学 校

〜その取り組みの方向を探る〜




1"心の教育"が求められる背景
 昭和22年、教育基本法が制定され、その第1条の「教育は、人格の完成をめざし…」という教育の目的を目指して戦後の教育がはじまりました。
 また、昭和33年に改訂された学習指導要領により道徳の時間が創設され、これにより道徳性や道徳的実践力の育成を目指した道徳教育が学校教育の中に位置付けられ、本格的な道徳教育の取り組みが始まり、今日に至っています。
 ところが、戦後教育50年、道徳教育40年を経過した今、改めて現在の教育や子供たちの状況を見つめてみると、人格の完成や道徳性の育成といった本来の目的を達成するどころか、いじめ、不登校、校内暴力などの現象に象徴される人間性の喪失や子供たちの心の空洞化等々が私たちの心に重くのしかかってきます。そして、これまでの教育では子供たちの心が豊かに育まれなかったのではないかという不安を抱いてしまいます。

 先の、所報ふくしま『窓』No.124号に掲載した座談会「心が育つ場としての学校」では、出席された小・中・高等学校の先生方から、子供たちの心の問題に関する貴重なご意見をいただきました。
 その内容からは、次のような児童生徒像が見えてきます。

 ・ 傷つきやすく、それでいて他への攻撃を容赦しない子供
 ・「人は人、我は我Jという個入主義観が浸透していると思われる子供
 ・ テスト問題に必要な知識が豊かでも、生活に生きる、生かす知識に乏しい子供
 ・ 体験が不足し、3K(きけん、きたない、きつい)を避けようとする子供

 こうした状況は、大人社会の「荒れ」の顕在化と見ることもできます。ゆとりのない生活、社会性の不足や倫理観の欠如、自立の遅れなど、様々な問題は、単に「心が育つ場としての学校」の教育力が萎えてしまったというだけでなく、家庭や地域社会の教育力の低下といった、子供たちの「心」を取り巻く環境の悪化にも起因しているのではないでしょうか。

授業写真

 心の教育が求められる背景は、こうしたところにあるのだと思いますが、特に、いじめ、不登校の問題は、「心の教育」が求められる最も深刻な背景であると考えることができます。


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