福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.125(H10/1998.11) -008/042page
う前に、子供たちのモデルとして、教師自らの言葉や行為がふさわしいかどうかを振り返ってみることが大事なのではないでしょうか。
昨年、ある新聞に「教員室のゴミ分別も生徒が」という小さな投書がありました。その内容は次のようなものです。
私の学校でも職員室、職員トイレ、会議室の清掃を生徒がやっています。
職員室のごみ箱の中には、使いかけのソースの袋やわりばし、スプレーの缶、びん、ブラスチックなどがめちゃめちゃに入れてあります。
そのごみ箱の中に生徒が手を突っ込んで、燃えるごみと燃えないごみに分別して捨てています。
そんなことも知らない先生たちは、清掃中も「ここが汚い」「あそこも汚い」と文句ばかり言います。
しかもそれが当然だ、という顔をしています。
「ありがとう」とか「ご苦労様」と言ってくれてもいいのに…………………。埼玉県のある中学校の匿名希望さんの意見でしたが、心を育む教育の担い手としての教師、その教師の感性や人間性について考えさせられる投書だと思います。
もちろん教師が全てそうだというのではなく、多くの教師は、心を育む教師として「自分に問いかけ、自分の人間性を磨き、自らを律しつつ生きている」のですが、「温かく、相手の気持ちに共感できる人間」や「人のうるわしい行為や、自然の美しさ等を、素直に美しいと感じることができる人間」など、そうした人間を育もうとする教師が「不遜」であってはならないということを考えさせられます。(1) 望ましい生活習慣のためのきまりを大切にする校風、学級風を醸成するようにしたい。
たとえぱ、子供たちの規範意識の低下といった問題は、最終的に子供一人一人の価値観によるのですが、集団が醸し出す規範意識に大きく左右されるところがあります。自転車通学の子供たちが自転車をどう駐輪するか、ヘルメットの着用状況はどうか、また、茶髪やピアスの是非や生活態度、教師との人間関係などは子供一人一人の意識もさることながらその学校が持っている校風としての規範意識によるところが大きいのではないでしょうか。
こうした集団の規範意識、つまり、子供たちの誠実で自律的な校風を築くには、学校が作ったきまりに子供たちを従わせるというのではなく、子供たち自身に、きまりの必要性やその意味価値について考えさせ、場合によっては、きまりについて協議したり、改善したり、生み出したりする活動を支援することが大事であると考えます。
特に、子供たちの学校生活のほとんどが学級集団という枠組みの中で営まれていることを考えると、その集団の直接の指導者である学級担任や教科担任の規範に対する考え方や規範に関する問題への対処の仕方は子供たちの価値観に大きな影響を及ぼすに違いありません。
従って、教師には、善い行いや美しい行いに敏感に反応するとともに、子供一人一人のものの見方・考え方や価値観を把握するように努め、集団の成員一人一人の声に十分耳を傾けながら子供とともに「よりよい生き方」を求めていく姿勢が必要なのだと思います。