福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.126(H11/1999.2) -004/046page

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に触れましたように、大学は、いままた、未曾有の改革=第三の改革の渦中にあります。この目下進行中の改革は、臨時教育審議会の答申を受けてなされた大学審議会の設置('88=S.63)を起点に、これが平成に入って矢継ぎ早に出した答申を触媒として推転して来ています。そして、この時期に提起された大学審答申は、最終的には、昨秋の総括的な答申 『21世紀の大学像と今後の改革方策について−競争的環境の中で個性が輝く大学−』 に集約されるに至り、改革は、いまや正念場にさしかかっております。
 なお、福島大学行政社会学部がその後全国に叢生する新構想学部=総合政策学部の嚆矢として創設されたのは、この第三の改革が始動した時期(1987年)です。
 とはいえ、このいわぱ平成の改革は、決して大学審がもたらしたものではありません。そうではなく、大学をめぐる環境の諸変化が、それを必至ならしめたのです。それらの諸要因のうち一番大きなものは、少子=高学歴社会の到来です。紙幅の都合上、その他の、それ自体としては重要な諸要素を捨象して、もっぱらこの切り口から、当面の改革を切ってみましょう。
 最近、大学人の間で、カリフォルニア大学のマーチン・トロウ(Martin A.Trow)教授による高等教育の<エリート→マス→ユニヴァーサル>という「発展段階」(phases of deve-lopment)論が注目を集めています。(1)<エリート段階>18歳人口の15%以下の選ばれた者のみが大学(含む短大)に進学する局面;(2)<マス段階>進学率が15%を超えて50%に近づくに従って高等教育の大衆化が進むマス化の局面;(3)<ユニヴァーサル段階>進学率が50%を超え志望するなら猫も杓子も高等教育を享受できるユニヴァーサル・アクセスの局面;かかる高学歴化の3階梯論がそれです。この説は、アメリカ中心の立論ですが、日本の高等教育を論ずる場合にも参考になります。
 そこで、これをわが国に当てはめてみますと、エリート段階からマス段階への移行期は、だいたい昭和40年代初頭に当たります。そしていま、世紀転換期を迎え、わが国も50%の進学率に限りなく近づきつつあります。したがって、ユニヴァーサル段階も指呼の距離となりました。さらに、来世紀の第2・4半期までには、進学率60%という超高学歴社会が到来するであろうと予測されるまでになっています。
 こうした進学率の上昇の背後には、当然のことながら志願率の上昇が存在するのですが、しかし、急激な少子化の進行によって、志願者の絶対数そのものは、激減しています。他方、大学や短大は、高度成長期あるいはバブル期という条件のもと、何次かにわたる団塊の世代を受け入れるために乱立と言ってよいほど累増し、収容定員に至っては、それ以上に拡大されています。かかる相関のなかで、文字通りユニヴァーサル・アクセスの局面が現出するのです。
 今年1999年には、短大は志願者数と収容定員とが一致し、以降、大学の収容定員や志願率の増加傾向を現在の水準と仮定し、かつ志願者減を短大や専門学校に押しつけたとしても、2009年には、四年制大学も、志願者数と収容定員とが一致し、大学全入の事態が発生すると推定されています。最新の改革は、このような歴史段階が必然化したものなのです。

V 改革の核心=「教育革命」
 このような歴史段階での第三の大学改革は、すぐれて「教育革命」の色彩を帯びて立ち現れます。
 それ以前の2回にわたる改革は、第一回の「量的」改革も、第二回の「質的」改革も、いずれもエリート段階の枠内での改革でした。明治以来、日本の大学は、ヨーロッパ、とりわけ


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