福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.126(H11/1999.2) -006/046page

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 しかし、マス段階の末期、ユニヴァーサル段階のとぱ口に立ったいま、外部からの風圧もあずかって、大学人も、大学における教育[(高校教育)・教養教育・学部教育・大学院教育・社会人教育とその相互連関]のあり方を真剣に考えはじめました。そして遅まきながら、大学教育の変革に主体的に取り組みはじめたのです。第三の改革=平成の改革が、これまで二度の改革と違い、すぐれて「教育革命」であり、教師の意識革命だというのは、このためです。

VI 改革の方途としての大学多様化論
 だが、当面の大学改革は、「教育革命」に尽きるわけではありません。その他にも、先端科学技術や学際研究の出現等々の学術の高度化への対応、高度情報化社会における構造変化への適応、国際化のなかでのグローバル・スタンダードの達成(国際的に通用する大学の構築)など、大学が抱える「知の再構築」のための課題は少なくありません。これらの課題に、大衆化した大学が、あるいはさらにユニヴァーサル化した大学がいかに応えうるか、それに応えるためには、どの様に学問を把え直し、どの様に大学を組み立てればよいか、これが第三の大学改革の、いま一つの問題です。
 その一つの解答が、大学院重点化です。学部段階を主として教育の場とし、高度の学術研究は大学院、とりわけ博士課程に委ねるという動きが、これです。旧制を前身とする総合大学が、大学院中心の大学となり、教師が大学院何々研究科教授という肩書をもつに至っている現状は、既に、そうした流れが始まっていることを物語っています。
 もう一つの解答は、大学の多様化です。四年制だけで六百を超える大学を、大別、1(丸囲み)研究中心の大学(Research University)、2(丸囲み)教育中心の大学(Education University)、3(丸囲み)社会貢献中心の大学(Service University)に種別化し、役割分担をするという動きです。このうち、研究中心の大学は、大学院大学と重なることになり、それ故、大学院重点化と大学多様化とは地下茎で連なっているのです。
 さらに立ち入ると、1(丸囲み)の研究中心の大学も、(1)先端技術の研究大学院大学(すでに北陸・奈良・岡崎等にその先鞭が見られ、研究所を多く抱えた総合大学院大学もこの範疇に入ると思われます)と、(2)その他のドクターコースをもつ大学院大学とに細分化され、2(丸囲み)の教育中心の大学も、(3)職業人としての専門的素養を育成する専門大学(多くは高度職業人養成の修士課程を持つ)と、(4)もっぱら人間=人格形成に力点を置く教養大学(リベラルアーツ・カレッジ)とに、これまた細分化されるようです。そして、これに(5)地域貢献に力を注ぐ、コミュニティ・カレッジを加えるという構想です。
 そこには、多くの領域でそうであるように、グローバル・スタンダードという名の、アメリカン・スタンダードの貫徹が見受けられます。アメリカが、マス段階での高等教育先進国である以上、アメリカに学ぷことを毛嫌いする必要はありませんが、政財界のシリコンヴァレー信仰に根づく手放しのアメリカン・ドリームには、いささか戸惑っております。
 また、わが国の高等教育にとって、したがってまた、わが国にとって不幸なことは、第三の大学改革が行財政改革の算盤勘定先行で論議されていることです。財政逼迫の折から、六百以上の大学すべてに多くの研究費を回すことが出来ないから、大学の種別化を行え[Center of excellence(COE)=「卓越せる研究拠点」への選別的重点投資]という議論や、財政再建=公務員定削の目玉として国立大学を民営化ないし独立行政法人化し、13万人強の国立大学教職員を切り捨てろとかいう極論が、永田町で罷り


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