福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.126(H11/1999.2) -007/046page
通り、金融破綻・経済破局の元凶である財界人まで、声高に大学ビッグバンを叫んでいる近頃です。
そもそも、わが国の高等教育への支出は,GNP比0.7%で、先進諸国(アメリカ=1.1%、イギリス=1.4%等)の中で、極端に少ないのです。この点を棚に上げて、経済採算本位の国立大学法人化論や、経済界主導の市場原理=競争原理一効率原理の大学への強要が、あたかも時代の要請であるかのごとく横行しているのは、いかがかと思います。
研究と教育の問題は、そうした夾雑物から自由に、純粋に議論されなけれぱなりません。そうでないかぎり、第三の大学改革も失敗に終わり、「知の再構築」の実現も覚束なくなります。したがって、このような浅薄な大学多様化論は排されなければなりませんが、他方、多様化論を一顧だにしない態度も、これまた浅薄のそしりを免れないことも、厳然たる事実です。VII むすびにかえて
−21世紀大学像の模索−
確かに、大学の多様化論は、エリート・マス・ユニヴァーサルという大学の「発展段階」を、大学間の役割分担に置き換え、隠然たる大学間格差を公然たるそれとして定着させ、高等教育を戦前のピラミッド型多分岐軌道に回帰させる惧れなしとしません。しかし、それを惧れるあまり、護送船団時代における大学の「形式的」(建前のみの)平等に拘泥したり、いつまでもドイツ型大学像に郷愁を感じつづけたりするのは、時代錯誤です。
もちろん、大学の使命は、知の創造(研究),知の伝承・知的能力の開発(教育),知の還元(社会貢献)の三者に求められます。そして、各大学が専一的にそのいずれかに特化し、そのことによって多様化ないし個性化しようとするのならぱ、それはとんでもない誤りです。大学は、これら三者の統体として存立しているのです。研究の裏付けのない大学教育はありませんし、大学の社会貢献も研究や教育をとおしてなされるものです。
第三の大学改革は、何よりもまず、相対的に従来ないがしろにされていた教育と社会貢献とを正当な地位に復権させる点にあります。しかし、それは、即、研究の地盤沈下を意味するものではありません。大学が大学である以上、学生や社会の二一ズに応える高い質の研究、高い質の教育、高い質の社会貢献の三位一体のうちにこそ、大学のraison d'etreがあるのです。
多様化ないし個性化とは、その上で、個々の大学なり、学部・学科なり、あるいはその細胞たる講座・課程なりが、どこに力点をおき、どこで自らの‘Excellence'(卓越・長所)を主張ないし発揮するかということです。
いま、福島大学でも、ヴィジョン委員会を設置し、「教育革命」のみならず、研究・教育・社会貢献の諸側面をどう組み合わせ、どこで卓越さを誇るか、また個々の側面のそれぞれでいかに卓越さを打ち出すか、これらの点の検討に取りかかりました。大学は、確実に、そして加速度的に変わりつつあります。[追記]本稿は、天野郁夫氏の諸業績(著作・訳書)ならびに最近の大学改革論議に負うところが少なくありません。末尾ながら、特記して、感謝の意を表します。
吉 原 泰 助 先生のプロフィール 昭和8年 茨城県に生まれる。東京大学大学院社会科学研究科卒業後、昭和37年 福島大学経済学部請師、昭和40年 同 助教授、紹和49年 同 教授に就任。この間、弘前大学・岩手大学・東北大学・名古屋大学・同大学院・名古屋市立大学大学院・名城大学等の非常講師を兼任。昭和54年8月より1年半、文部省在外研究員としてフランス・パリ第一大学(ソルポンヌ・パンテオン)に留学。昭和59年 福島大学経済学部長に就任、平成7年2月 福島大学長に就任し、現在に至る。