福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.127(H11/1999.7) -001/042page

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福島県教育委員会委員長 杉原陸夫

早 池 峰 の 轍

福島県教育委員会委員長 杉 原 陸 夫

  

 15年も前の話である。私が教育センターに勤めて2年目の初秋の日曜日、早池峰に登る機会を得た。聴き慣れない言葉とは思うが、山頂一帯での周氷河地形の調査のためであった。
 夜明け前、土曜の晩からお世話になった伊達の友人宅を購入したばかりの新車で出発をし、陽が高く昇らない時間のうちに登山口に到着した。
 快晴という好条件にも恵まれ、この山ならではの高山植物を愛でながらも、昼食をはさんで調査を終えることができたその後のことである。誰が言い出したのか今でもわからないのだが、尾根伝いに隣の鶏頭山まで歩こうということになった。太陽高度もまだ高く、天気も良く、時間も十分にあるということからそのような軽い判断をしたのだと思う。
 縦走の途中というより、次なる山の近くまでは皆元気で、私などは若さ?にまかせて先頭に準じるあたりを軽快にといっても違いないほど飛ばしていた。問題はそれからであった。
 思いのほか、夕暮れの時間が早く訪れ、気温も下って周囲の茂みに露が着き、それを軽装の衣服が吸い始めた。当然のことであるが、疲れぎみの身体の体温をどんどん奪い、空腹感も一気に強まった。皆が揃ったところで休憩をとり、昼の残りの握り飯など分けて食べ、気を取り直して下山することになった。あたりはすっかり夜の帳が降りた暗闇み。頼りは淡い月明りだけの中、文字通り手探りで傾面を下らざるを得ないみじめな状況になってしまったのである。
 明るい日差しのもとで健調に歩むことのできる道も、条件が変わればいばらの道である。こけつ転びつひたすら重力にまかせて落下するかのような下山では怪我人も出る。私といえば、午後の暴走が響いて心臓が存在を主張し、どうにも歩くことができず、迷惑をかけ半時ほど仮眠をさせてもらうという情けない状態になった。
 午後10時過ぎ、ようよう麓にたどり着き、治療のため病院探しをするなどして、福島に戻ったのは月曜の午前4時頃だったと思う。そして、短かい睡眠のあと、何事も無かったような顔をして出勤し、その日の日課をこなした。
 あの時の失敗の原因は数多くあるが、一言でいえば事を甘く見たということだろう。実際、早池峰の山頂で出会った重装備の方々が、私達の姿を見て、「縦走は無理ですよ」と忠告されたとき止めれば良かったのである。元々、調査だけが目的であったにもかかわらず、欲が出た。それも、衣服、食料、照明機器など傭えを全く整えていなかったにもかかわらずにである。加えて、日没時間を含めた情報もないまま、その時の仲間同士の気分に惑わされて、全員が理性的に判断できなかったからだと後に思った。
 先例のない事柄が増え、新たな判断を迫られることが多くなっているが、早池峰の轍は踏まないよう心掛けている。


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