福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.127(H11/1999.7) -004/042page

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 これが地域から世界への窓を開くものに通じていくと思うし、例えば学校におけるユネスコクラブなどの結成により、多くの児童生徒の共感をうるようなものになるよう希望したいのである。
 ところで、相互理解には言葉の理解が必須の条件である。真の理解に言語は不要だ、という意見もあるが、それだけでは十分ではない。「総合的な学習」の中で、既に研究協力校で小学校で英語教育に取り組んでいるところもあるが、私は理想的なことを言えば、小学校の4年生ぐらいから日常的な英会話が教えられるようになるとよいと思っている。
 英語を小学生に教えるということについては強い反対論が出るかも知れないが、ツール(道具)としての英語と割り切ればよいと思うし、現代版「論語の素読」と考えればよいと思う。
 シイハク、アシタニミチヲキカバ ユフベニシストモカナリ(子日、朝聞道 夕死可実)

 パス ザ ソルト プリーズ(Pass the sa1t, please.)
 ヒァ ユウ アー(Here you are.)
 サンキュー(Thank you.)
 ユゥ アー ウェルカム(You are welcome.)
を同じだと思えばよいと思う。最初は鸚鵡返しに暗記暗唱すればよい。古、勧学院 注1 ノ雀ハ蒙求(モウギュウ) 注2 ヲ囀ルと言われた。即ち、昔、勧学院の庭に棲んだ雀が朝夕弟子の蒙求を読むのを聞き覚えて、その文句を囀ったという。
 要するに、平生、見慣れ聞き慣れすれば、知らず識らずのうちに、それを学び知る、というのである。
 いろいろな分野での真の国際人を育成するには長い時間を必要とする。今から明確な目的をもってこれに当たらなければ、世界の趨(すう)勢に取り残され、「かつて、日本という国があったが…」などということにならなければ良いと思うのである。
 以上、国際理解教育を一例として述べたが、勿論これが全てではない。姉妹校交流を基礎に展開を図ることもできようし、環境とか地域密着型の課題など、他の例でもその内容を十分豊かにすることもできよう。
 「総合的な学習」をこれから始めるに当り、明確な目標をキチンと持って児童生徒に向かうよう、教師の皆さん方には特に希望したいのである。「忙しい」ということが常套語と化しているが、本当に忙しいということの意味を十分理解してかからないと、それは無為に通ずる危険を孕んでいることも知る必要がある。最初は他府県の事例を参考にしながら進めることになると思うけれども、やがて他府県の先例となるような「総合的な学習」の研究や実践が福島県から生まれるよう期待したいと思う。教師の皆さんのご活躍を心から祈念する次第である。

(注1)勧学院  弘仁12年(西暦821年)、藤原冬嗣は同族中の貧乏な子弟を教育するために、京・三条の地に勧学院を建設した。
(注2)蒙求  書名。三巻。唐の李瀚の撰。
 古人の事績の相類するものをとり、両々相対比し、四字句の韻語をもって違ね、わらべの誦読に便にしたもの。よって、教科書として用いられた。
新妻威男館長略歴
相馬市出身 昭和34年3月、東北大学経済学部卒業後、同年4月、福島県庁職員に採用となる 土木部・総務部・農政部・商工労働部・生活福祉部等に勤務 平成3年9月より総務部長、平成5年6月より県教育長を歴任の後、平成8年4月より現職

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