福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.128(H11/1999.11) -005/042page
ね。だから、学校のことを外に出しません。外に出すことはいかにも自分たちが悪いかのようにと考えてしまいます。しかし、もうそういう時代ではないのです。
学校が子どもたちへの教育の責任を全て負うことは、もうできない、そう私は思うんです。例えば、学校が荒れています。子どもたちが学校へ行きません。また、「学級崩壊」とかなんとか言います。それを先生方はすべて自分たちだけでやろうとします。でも、それはおそらくら無理だと思います。学校がどんなに荒れているかをみんなにみてもらう、授業ができなかったらみんな来てもらって「どうすればいいでしょう。知恵を貸してください。」というふうに保護者や地域の方々に開いていく。そうでなければこれからの学校は子育てはできないと思うのです。だから、学校週5日制という問題とは、開かれた学校にしていくことを求めているのだと思います。これまでのように自分たちだけで囲い込んで学校をつくっていくという時代ではなくなってきているのです。
5 「わかる授業」「楽しい学校」の実現
それから、2番目に書いてあるのは「わかる授業」「楽しい学校」の実現ですが、「わかる授業」というのは、これまでもいろいろとやってきました。いろんな教材研究発表会や授業研究発表会などは、みんな「わかる授業」について一生懸命やってきたものだったはずです。だから、これは何もこのことによって変わるのではなく、これまでもやってきましたがまだこれからの課題でもありますよ、という問題提起だと思います。
次にある「楽しい学校」という指摘は、文部省はあまり言ってこなかったことだと思います。「楽しい学校をつくる」といった言い方に対しては、おそらく先生方の頭の中に「それは大丈夫か?」という思いがあるのではないでしょうか。「楽しい学校をつくるなんて、それはできませんよ。」、「楽しいだけでいいんですか?」となると思います。それは、先生方の頭の中に「学校というところは楽しいところではない。」という、そういう先入観がどこかにある。「日本の学校はがまんとがんばりのところだ。」ということであります。それを楽しい学校にしようとすることが問題提起で、これは大きな変化です。本当に大丈夫かと思われるかも知れません。しかし、それならこれまでの学校は大丈夫だったのか、とも言えるわけです。だって、例えば学校に行かない子どもの数をみても、12万8千人の小中学校の子どもたちが学校に行っていない。それが毎年うなぎ登りです。その事実をとらえただけでも「学校は今のままでいい」とはならないはずです。もちろん、不登校の原因は家庭にもありますし、社会にもありますから、みんな学校だけが負うものではありません。しかし、不登校の原因の半分は学校が負わなければいけない。学校は、もっと子どもたちが元気が出るようにできないのかを考えなければい