福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.128(H11/1999.11) -008/042page
す。そういった状況の中で「どうぞご自由に」とは言えない。そういう社会的な背景が横並び学校になったと私は思うんです。
しかし、今はそういう時代ではありません。1989年はベルリンの壁が落ちた年です。それから3年後にソ連はなくなります。それはご案内のとおりです。もう今は右と左に別れて喧嘩をする時代ではありません。どうすれば子どもがよりよくなっていくかを考えなければならない時代に入っています。その中にあってどうぞ知恵を出してください、というのが「特色ある学校づくり」だと私は思います。
「これからの新しい学校は、それぞれ違ってもいいのですよ。」ということを学校がどれだけ受け止められるか、自分の学校の教育課程や指導計画あるいは授業づくりに生かされるか、それが求められているのだと思います。
ただ、こういうふうに特色ある学校づくりについていいますとですね、「ああそうか。違えればいいんだな。他と違えればいいのか。」と安易に考えるむきもあるかと思いますが、それではいけないんだと私は思います。「特色ある学校づくり」というのは、何も「奇をてらう」ということじゃない。人がびっくりするようなことをやれというのではない。「違っていてもいい」という背景にあるポイントは、私に言わせればこういう学校をつくれないか、言うならば、「どの子にもやる気と自信」を育てる学校は作れないのか、ということが特色ある学校づくりの原点だと思います。今の学校はどの子にもやる気と自信を育てている思いますか。学校にこない子どもがいるということはそうでないことを意味します。授業中に居眠りをしたりごろごろしている子どもがいると言うことはそうでないことを意味します。いろいろ学校で問題を起こす子どもがいると言うことは、やっぱり学校はその課題に応えていない、ということを意味します。ここで言いたいのは「どの子にも」です。これが私は「特色ある学校づくり」の原点だと思います。先生方の学校にはそれぞれ違った数の子どもたちがいます。100人の学校もあれば500人の学校もあるでしょう。その学校に来ているどの子にも「先生明日また元気にくるよ。」と子どもたちが言える学校になっているか、ということです。「そんなこと言ったってできるわけない。」そう言わないでほしい。それ言ったら、寅さんでなくてもおしまいです。その元気のない子どもにどうにかやる気を起こすことができないのか、これが原点だと私は思います。これをしていかなければこれからの学校はもたないでしょう。学校に行かない子どもはますます増えていきますし、学校の中で騒動を起こす子どもは、低学年から起こってきます。
来週には、新聞に「学級崩壊」について国立教育研究所で調べたことの中間報告が出ます。 注2 こういう状況の中で、学校はだれのためになんのために授業をしているのか、それはどこにポイントを置いているのか、ということが関わってくるんだと思います。