福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.130(H12/2000.7) -005/042page
ことができない学区というものがありまして、そこに行かなければならないという、硬直化というかそういった面があるので否が応でも行かなければならない。ただ東京などでは、もうある程度の小学校の選択制というようなことも始まっていると聞いておりますし、やはりこれからは子供が行きたい、小学校などでは保護者が行かせたい学校を選択できるような幅のある学校選択が必要になってきているのではないかと思います。それから、そういうことであれば学校も保護者に認めてもらいたい、そのためにはどうするかということで、授業内容やカリキュラムなどを改めていくことが求められているのだということではないか、そうすることでまた学校が生き生きとしてくるというようないい循環に入っていくようなことを求めているのではないかということを考えております。やはり校というのは授業が命ですので、その授業が魅力的で、子供たちが明日も学校へ行って勉強したいと思うようでなくてはいけない。ただそれは生徒に迎合するという意味ではなく、先生方はプロの技術がございますので、それをもっともっと生かしていける場面が出てくるんだろうというようなことを思っております。ですから、一人一人の生徒が自ら学んでいこうとするような授業、それからカリキュラムそのものの組み合わせを学校の先生方にそれぞれ考えていただくというようなことを求めているのではないかと考えます。
司会 今回の学習指導要領告示にかかわっては、文部省や県教育委員会など、教育行政にあるものが各学校を指導するのでなく、各学校が独自の取り組みを工夫し、展開していく過程を見守り、支援する立場に立つことが求められていると聞きます。そのような国の方針変更といいますか、立場の違いが生じているということも踏まえながら、これまでのご意見についてコメントしていただきたいと思いますがいかがでしょう。
渡辺 今まで校長先生方にお話していただいたように、21世紀の変化の激しい社会を主体的に生きていく力を育成するために、各学校では自分の学校の教育力を生かしてできることは何なのかという考えに立って、教育課程を編成していただいていると思います。しかし、これまで、教育の共通性や普遍性を重視してきたことがありまして、横並びという言葉に代表されるような共通を重んじた教育活動が尊重され過ぎることもあったようです。教育課題や自校教育への願いは学校によって違いがありますので、それを解決したり、具体化しようとするとおのずと他校の教育との違いが出てくると思います。また、その学校の教育をはぐくんできた教育環境のよさを十分に生かすということについても必ずしも十分ではなかったのではないかと思います。そのようなことが複合して教育の変化を期待する背景になっていると思います。さて、現在、学校教育は、これからの社会の変化への対応とともに教育そのものの活性化が求められています。私は、教育の活性化の源は「多様性の確保」が重要な要素であると考えております。以前、Y小学校という本当に自然豊かな山村の学校に勤めました。その地域の地場産業である「紙すき」が復活しましたが、それは、地元ですいた和紙で卒業証書を作ってあげたいという教師や地域の方々の願いからでした。和紙をつくるには、紙をすくためのきれいな川の水や、
渡辺博志先生