福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.134(H13/2001.11)-003/036page

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3 「論語朱子集註」

朱子の論語解は、その「集註」(しゅっちゅう)というものに出ています。以下「朱註」と言います。ここのくだりは、こうあります。

「温」は「尋繹」(じんえき。「たずねる」)の意味である。「故」とは旧(もと)聞き知ったこと、これに対して「新」とは、今新たに学び得たことを言う。そのこころは、学とは、時あって、これまで学んで知り得ている知識を復習し直して、常にその理解を新しいものにしておくという趣旨である。すなわち、学とは、人に教わったことをそのまま受け伝えるだけでなく、それを自分の知識として自習・自得しているのでなければならない。このように自彊(じきょう。みずからつとめる)息(や)まないから、人の師とすることもできるのだ。だから、人の教えるところをただ記憶し暗記するだけの「記誦の学」では、真の意味での「わが学」と言えるようなものではない。ただ教わったものを覚えるにとどまる限定つきのものだからである。その故に、ただ暗記するだけの記誦・訓詰の学者では、人の師となすに足らざる者と言うのである。人の師とするに足る者の学問というのは、このこころに照らして理解されなければならない。

この朱注の他と異なる点は、この章句を十文字一体のものとして把握し、上段は主格分の「体」、後段は述義分の「用」、上下相承けて、真意を映発し合うものとしている点にあります。これは当然そうあるべきものを、朱注がそのままに釈義しただけです。しかしよその諸注・諸論がそうなっていないために、朱注だけが特別なように見えたのです。

『論語』において「以て師となすべし」と言われているのは、教師としての適格が最高の形で評価されたことになります。「温故知新」も孔子のこの最高評価の栄誉に輝いたことばとして名言になり得たのです。「以て師となすべし」 の評定あって、然る後「温故知新」なのです。
朱注を補ってこのことばを「未来教育へのメッセージ」として傾聴することにいたします。

4 学びて思う思いて学ぶ

(1)この章句は「以て師となす」に足る教学のありようを規定したものです。「温故知新」はその「教学の本質」を表現したものですから、すべて「人に師たり得る者の基本要件」として「故」はどういう「故」であり、「知」とはいかなる意味で「新」であるかを「温ね知る」ということでなければなりません。

(2)その点で朱注は不十分です。まず「故」は「旧聞」程度にとどまっていることができません。それは、「先王の道」「先聖の遺訓」とされているような「教学元始の故(ふる)さ」にまで遡って、そこで未だ闡明されずにいる未知の真実の心を探査するというようなところまで踏み込みませんと、「以て師となす」に足る「温故」にならないと知るべきです。

(3)「以て師となす」に足る「知新」には一層のきびしさが求められます。『中諦』には「誠は天の道なり、之を誠にするは人の道なり」とあるのですが、「知新」は「之を新たにする」という性質のものです。『大学』にいう「日に日に新た」の「新」、「命(めい)維(こ)れ新た」の「新」まで進むことが求められます。

(4)「為政篇」には「学びて思わざれば則ち罔(暗)し、思いて学ばざれば則ち殆(危)し」 ともあります。これは「温故知新の意訳」と考えてよいものです。一言で言って「豊かな教養性」のことです。「温故知新」はここまできて「以て師となす」に足る要件を全うします。昔も今も変わりないのです。

(高橋富雄先生のプロフィール)

大正13年,岩手県生まれ。昭和18年東北大学文学部国史学科卒,昭和23年東北大学大学院修了。文学博士。昭和38年東北大学教養部教授,昭和60年東北大学名誉教授,昭和60年盛岡大学教授・文学部長,昭和61年福島県立博物館長(現職),平成2年盛岡大学学長,平成10年盛岡大学退職。東北史学会会長(昭和58年から2年間),昭和60年河北文化賞受賞。
主な著書,『徳一菩薩』(歴史春秋社),『平泉の世紀』(日本放送出版協会),『ひき際』(河出書房新社),『古代語の東北学』(歴史春秋社),『奥州藤原氏』(吉川弘文館)など。


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