福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.136(H14/2002.7)-032/036page
― 「人・道・歩み」 〜この道一筋〜 ―
創業享保4年東北最古の登窯
会津本郷宗像窯七代目
陶芸家 宗 像 亮 一 氏 に聞く
会津本郷町は陶器と磁器が同時に生産される国内でも珍しい場所であり、14以上の窯元があります。
今回は、宗像窯を継承する七代目陶芸家宗像亮一氏にお話を伺いました。
陶芸の世界へ入ったきっかけは………
…小学校5年生のころ、父から将来何になる。」と聞かれたことがありました。それまで、家業を継ぐのは長男の役目と思っておりましたので父の言葉に不思議さを感じたものです。
しかし、父の言葉は「お前の好きなことを考えろ。」ということでした。
戦中でもあり、不況と貧困から、近隣でも亡くなる方も多かったことと、野□英世博士の偉業が伝えられていたことから、私は『医学者になり人々を救いたい。』とこたえていました。そのこたえに父も賛成し会津中学に入学いたしました。
しかし、ご存じのように焼き物を創るということは大変な重労働であり、早朝から夜間まで働かなくてはなりません。当時、父は身体が弱く、そのため、母が一家を切り盛りするのが我が家の状況でした。学費も着る物も不自由することなく勉学に励むことが出来るよう、父に代わって黙々と重労働に取り組む母の姿を垣間見、私はここで、家業を継ぐ決心をしたのです。
仕事を支えてきたものは………
医学者を断念し仕事場に入ると、若い労働力が回りを刺激してか、職場に活気がもどり、同時に収入も増え、暮らし向きも豊かになってきました。そうなると、断念したはずの医学者への夢が再びくすぶりはじめ、私は悶々とした日々を過ごしました。
そんなおり、日本芸術館長柳宗悦氏の来訪を受け、私は大いに激励されました。
その時以来、一心に陶芸に打ち込み始めたのですが、昭和45年、師匠ともいうべき父が他界し途方に暮れてしまいました。その時力になってくれたのが母でした。父に寄り添い黙々と手伝っていた母から、陶技を学ぶことができたのです。黙々と汗して働く母の姿に深い感謝の念を持ったのは言うまでもありません。
それからは、他の作品のまねではなく『掘り下げる』を念頭に、生涯現役、よりよいものを追究し続ける姿勢で作品創りに取り組んでいます。
伝えたいことは………
…私は、作品展に積極的に出品します。
それは、有名になるとか、高く売れるとかということではなく、よりよいものを創り上げたいという強い思いがあるからです。他の方からの批評はとてもありがたいものです。慢心することなく謙虚に受け入れることが、次の作品に生かされるのです。
もう一つ、私は、出来上がった作品の中でもよいものを身の回りに置き、日常生活に使っています。やはり、『掘り下げる』ためには、絶えずよいものを身近に置き、さらによいものを創り上げる目を養っていくことが大切かと思います。また、実際に使ってこそ、本来のよさも見えてくるものです。
最後に一言………
「井の中の蛙になるな、謙虚に受け止めよ」ということでしょうか。