福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.137(H14/2002.11)-001/036page
【特別寄稿】
「新しい学校づくり」をめざして 〜開かれた学校、今、学校に求められているもの〜
ゆとり教育とはどんな教育?
企画室・コア代表取締役 三 田 公 美 子はじめにおことわりしておきますが、私はいわゆる「ゆとり教育」に異をとなえるつもりはありません。人間にとってゆとりの大切さも、ゆとりが育む豊かさも、誰よりもよく理解しているつもりですし、実際のところ、どれほどひっ迫していても、ゆとりで豪快に笑い飛ばしてまわりのひんしゅくを買っているのを重々承知している私です。
しかし、この「ゆとり教育」ということばが私にはよく理解できないのです。
ゆとりのある人間を創るための教育という意味なのか、それとも今の教育手法に対してもっとゆるやかなゆとりを持たせて進めようという意味なのか、いったいどちらなのでしょう。たとえば、生徒数を1クラス30人以内にするとか、カリキュラムにもう少し選択性の幅を持たせる。少子化社会ですし、当然のことだと思いますね。1クラス50人以上の小・中時代を送った私にとっては、羨ましいことです。
しかし、授業時間を減らすとか、週休2日制の完全実施など、教える時間を少なくする話には、それはどうかな、と思います。
26歳から小さな会社を立ち上げた私は、これまで実に多くの新社会人を迎え入れ、半数以上は一人前にできずに、会社を辞められました。
もちろん上手に辞めていただいた人もいるし、我慢できずに去っていった人もいます。
● 倍の速さで息をしろ!
一人前になれた人と、なれなかった人がどうして分かれるのか、自分ながら深く考え抜いた結果、ある時、そうか!とわかったのです。
自分で言うのも何ですが、私は鬼のような厳しい上司です。まだ若いころ、マン・ツー・マンで新入社員を教えこんでいた時代、私は新入生といえど容しゃなく、言葉の暴力をシャワーのように浴びせました。言った通り何も考えない作品をあげてくると、おまえは清書ブタか!とののしり、時間通り仕上げられないと、徹夜でも休日出勤でも何でもさせました。
たまらずやめていった子が労働基準局に訴えそれはきつい叱責を受けたものです。でも私はひるみませんでした。鉄は熱いうちに打て!のことば通り、仕事もある時期狂ったように集中してやっと身に付くものですし、大体会社というところは、授業料をとらず、どんなできない人にも給料をあげて、その人がその気であれば一生続けられる仕事の技術を習得させてあげるすばらしいところなのですから、何が基準局だと腹の底では思っていました。
正直言って、この江戸時代的な徒弟制度の考え方は、60歳になった今でも、みじんも変わっておりません。仕事というのは、そういうものだと、ますます思っています。
自慢めいてきこえたら、勘弁していただきたいのですが、私は、ほかほかの新入社員に対し