福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.137(H14/2002.11)-002/036page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

歩き方はむろん、飯の食べ方、はし使いのスピード、息のつき方まで、倍の早さを求めたことがあります。倍の早さでしゃべれ!倍の早さで飯を食え!倍の早さでトイレに行け!けっこう辛いものがあったでしょうね。みんな。

でも不思議なことに、そうやってぎゅうぎゅう攻められた者だけが、その試練に耐え抜いた人だけが、一人前となって、今会社を支えていたり、あるいは独立して、フリーランサーとしてそこそこに通用しているのですよ。

ぎゅうぎゅうとつめられ、ぎりぎりの限界までふんばった人だけが、そこそこの一人前になれる。うちのような広告の企画・制作という半ば職人的なビジネスではどこもそうなのだと思います。

そんなうちの会社も、ますます悪化の一途を転げ落ちている地方経済のただ中で、何とかしがみついて、生き長らえて、まもなく30年になろうとしています。ほんとうに、えらいでしょう。コツコツとひとすじの道も、こうなるとややマゾヒスティックでさえ、あります。

ところが、今いる社員の皆さんには申し訳ないんですけど、ここ15年くらいは、ひとりも一人前になっていないんです。毎朝出勤してくると社員全員でプロ十訓を唱和し、「ひとつ、プロとは決して甘えない人である」などと大声で言ってもらっているのですが、ここ15年くらいは創業時のいつ起きたんだか寝たんだかわかんないような明け暮れの中で、ひとりやふたりは何とかモノになってきた……そういう手応えが全くないのです。

 

● 猫なで声のぬるま湯ワールド

何でだ?と追求してみると、一つは、私自身がダイレクトに新入社員と対決していません。かつて私にしごかれた先輩たちが直接の上司となっているのですが、彼らは私のように野蛮でも封建的でもないので、新入社員にご意見やご要望をおききしながら仕事をオーダーしてゆく。できることをできるだけやってもらっているようです。私はできようとできまいと、できるまでやってもらうし、できないうちは帰しませんから、できない人は途中退場するし、さいごにはできるようになる。極めてシンプルな仕組みであったのが、そこに新しい人たちの二ーズなんていう項目が入ってきて、複雑になっているのです。

第二には、そろそろ変わりそうな気配もあるのですが、ここ15年位、がまんするカ、耐え抜く力、がんばるカを持った新人が全く入ってこなかったこともたしかです。

たとえば、求職者面接のいちばん多い質問は「お金はともかく、休みはどうなっていますか〜」 でした。私は、「休みたいですか?」とききます。彼らは「ええ、まあ」とか答えます。「じゃ、私がいちばん休める方法を教えましょう」というと思わず彼らは身を乗りだしましたね。私はおもむろに「休める方法は、会社に勤めないことです。一年中休めますよ」まったく休むために就職する奴がどこにいるか!最近のフリーター増加を見ますと、これが居るんだからいやになっちゃいます。ねえ。

はっきり言って、使う先輩側も使われる新人側もどっちもどっちで、<猫なで声>のぬるま湯ワールドが広がっているのだと思います・いま盛んに言われている「構造改革」とはまさにこの猫なで声のぬるま湯ワールドからの脱却に他ならないと私は確信しているのですが、だとしたら「ゆとり教育」とは何なのだろうかとまたまた考えこんでしまいます。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は福島県教育センターに帰属します。
福島県教育センターの許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。