福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.138(H15/2003.2)-001/036page
【特別寄稿】
「新しい学校づくり」をめざして 〜開かれた学校、今、学校に求められているもの〜
こころの時代(とき)
シンガーソングライター 菊池 章夫(きくちあきお)僕は昨年、約60ケ所で、コンサー卜や講演会そして、イベント出演、さらには、結婚式の司会などを行ないました。テレビ出演を切っ掛けにその活動は花を咲かせていったのですが、しかし、その一方で活動が盛んになればなるほど、その年の暮れには秋に舞い散る枯葉のごとく、僕の事務所に僕への抗議文が1枚2枚3枚と、その数を増しながら胡坐をかくようになりました。
出そうか出すまいか、迷った封書なのだろうか、その表情は若干疲れているようにも見えます。しかし、そのどれもが決まって匿名匿住所であり、その文章の第一声は、ある人から聞いた話なのですが、で始まる。逃げ隠れのできない僕だし、自分を棚に上げて、勝手なことをスピーカーのごとく言っている僕ですから、それも仕方のないこととは思っていますが、抗議にしては最初から逃げ腰だし、無責任だと思います。会議じゃ何も発言しないのに陰でこそこそ反対を唱えているのと、何ら変わらない人種だと思うのです。
そしてさらに、「あなたは裕福で余裕があるのでしょうが、そうでない人達もいる。あなたの価値観で物語ってはいけない…。」の言葉には、さすがに頭を抱えてしまいました。これはまさしく、世の中の悪いことを、他人のせいにしている理論と同類のような気がしたからです。もし、このように考える人達が増加すると仮定したならば、世の中は決してよくならないでしょう。何故ならば、自分を悲劇の主人公や被害者にしてしまいがちな人は、その現状を脱却する努力から背を向けがちだからです。
○ 不変性と可変性
便利さの追求こそが、制度のご都合主義こそが、人類にとって楽で快適である世の中が、歓迎しうる文明の向かう所と信じてやまない人がどれだけいることでしょう。
又、他人よりも大きな家に住むことが、高級車を乗り回すことが、さらに大きなお金を所有することが、より幸福に近い所に在ると思っている人がどれだけいることでしょう。
つまりこれは、自分の中の自分(精神)以外の、目で見える外側の何かに価値観を求めて生きている表れではないでしょうか。
それでなければ何故に今に飽き足らず、もっと大きな家を欲し、高級車を欲し、よりもっと大きなお金を欲してゆくのでしょう。だから、世の中で起きる目に見える物事の喜怒哀楽一つ一つに、一喜一憂してしまうのではないでしょうか。
明日、何があるかわからない。いや、何が起きても不思議ではないほど先がまったく見えない時代。しかし、これは何も今に始まったことではないわけで、この世に人類が誕生してからずっと続いてきているわけで、これから先も間違いなくそうでしょう。そんな不確かな時代の中で、確かな物を得ようとする。そして、その確かな物と信じてやまないのは、自分の中の自分(精神)以外の、外側の目に見える何か、ときている。やがて外側の価値観は、いつしか朽