福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.138(H15/2003.2)-034/036page

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―「人・道・歩み」この道一筋
 


いわき市にお住まいの「国の名工」
松本庸一(まつもとよういち)氏に聞く球技における指導と評価の工夫


「国の名工」松本庸一氏に聞く

今回は、神社仏閣建築や文化財復元等を50数年にわたり一筋に歩んでこられ、国の名工(平成11年厚生労働大臣卓越技能賞受賞、平成14年黄綬褒賞受賞)となられている宮大工、松本庸一氏にお話を伺いました。

宮大工になられたきっかけは………
私が12歳の時父が他界したため、残された母と私、弟と妹の4人の生活は容易ではありませんでした。父の遺品の大工道具が少々家に残っておりましたので、自分の職を決めなければならなくなった時、私は、父の親方であった下三阪の棟梁に頼み住み込みの弟子にしてもらいました。

親方は、宮大工の棟梁で、その建築技術は素晴らしく、私は親方の技術に驚くばかりでしたが、同時に、自分が一人前の大エになれるかどうか心配と不安に包まれ、結局、1年ほどで勝手に家に帰ってしまいました。その後、半年くらい山仕事をやっていましたが、母が心配したのはいうまでもありません。母は、私に「もう一度大工仕事をやってみないか。」と何度も促し、私も母に大変苦労をかけさせてしまったことから、もう一度大工になることを決心し、今度こそ年期を勤めなければと念じ、下永井の棟梁にお世話になることといたしました。

再び大工の道への挑戦 見習いの頃の思いで……
再び大工の弟子として働き約1年ほど過ぎた頃でしょうか、親方の部落の村社である永井神社の新築のため、私もその仕事にたずさわることとなりました。しかし、私は、この時ほど決まりの悪い恥ずかしい思いをしたことはありません。というのも、その永井神社新築の陣頭指揮に立った方が、初めて私が弟子としてお世話になった棟梁だったからです。棟梁にあいさつしなくてはならないと思い、酒一升を買って訪ねましたが、そんな私を棟梁は笑顔で「良かった、良かった。」と言い温かく迎え入れてくれました。

私は、棟梁のその言葉に、それまで何年も気になっていた心の重荷がとれたようで救われた思いに包まれました。それからというもの、私は米粒一つ分でもよいから前に出よう、この棟梁をお手本とし心に残る作品を造ることで恩返ししようと思い、毎夜休む前に必ず大工の本か建築の本を見ることとしました。これは現在も続けております。

初めてのお堂を建築……
私は、北は下北半島から南は奈良、京都、岡山、小豆島と、有名な神社仏閣を見て研究に励みました。そんな中、昭和33年に母が他界。母には苦労ばかりかけ何ひとつ親孝行も出来ず残念で、この時ほど悲しかったことはありません。その年、私の部落でお堂を造ることとなり、私は、母の供養と思いご本尊様を彫刻し奉納いたしました。そして人間の生命のはかなさを感じるとともに、佛の供養と自分自身の作品を永久に残したいという思いにかられ、神社仏閣の研究に一層励むこととなりました。

昭和46年、閼伽井嶽常福寺不動堂を造ることとなりました。日中は現場での仕事、夜は12時までの図面描き。お堂だけで2年7ケ月の歳月を要しました。不動堂建立の後、元京都大学教授工学博士大森健二先生の設計した鐘楼堂を造らせていただきました。できあがった堂の前の庭はきをしていた時、こんな歌が浮かびあがりました。「来る年も、夢を追いつつ25(ふたご)年、堂宇(どうう)納めて秋の月」私が宮大工を志してから25年目のことでした。

その後、東大名誉教授工学博士藤島亥治郎先生の設計した願成寺の鐘楼堂や阿弥陀堂庭園高欄橋を施工いたしました。私は東西の両横綱である先生方の設計した建造物を施工することができ、それはそれは実に夢のようでした。専称寺鐘楼堂の復元工事では、200年ほど前の棟梁の名が私の目の前に飛び込んでまいりました。驚きとともに当時の棟梁の努力と苦労が偲ばれ、「よくぞ造ってくれた。」という感謝の念が込み上げてくるばかりでした。

仕事を支えてきたものは………
なんと言っても家族の協力がなくてはできません。また信仰心がないとできないでしょう。私は常に佛の供養と思い進めてきました。技術的にも経済的にも精神的にも困ることもありますが、でき上がった時はすべてが喜びにかわります。後々まで残る建物をー棟でも多く造りたいと思っております。私の作品で是非見学並びにお参りして頂きたいのが閼伽井嶽多宝塔です。宮大工を志す方は是非見学し、日本文化である社寺建築を後世まで伝えて下さい。私もできる限り後進の指導にあたっていきたいと思います。


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