福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.139(H15/2003.7) -001/036page
【特別寄稿】
「新しい学校づくり」をめざして 〜開かれた学校、今、学校に求められているもの〜
「道に灯りを」
奥会津書房編集長 遠 藤 由 美 子遠くからゆっくりとした太鼓の音が聞こえる。
虫送りの行列が始まったようだ。
揺らめく灯が、暮れなずんだ空から舞い降りた星のように光る。地を這う低い太鼓の響きは、虫を納めた社が発する咆哮のように、低く、重く響き渡った。
「デンバラ虫の追いくらヨ〜イヨイ。よろずの虫も追いくらヨ〜イヨイ。」
ゆっくりした掛け声が次第に高くなり、いつのまにか提灯の灯は意外なほど近くにあった。子供たちが司る弔いの行事
農耕を妨げる悪虫を送る行事は子供たちが司り、一ケ月近くかけて準備をする。村内から寄附を募って行列に加わる幼い子供たちの土産を買い、紙や絵具を買い、手作りの紙提灯に絵を描く。当日の朝、先頭を行く長い青竹を伐り出すのは、中学三年生の男子と決まっている。この日、男子ははじめて大人と同じように腰にナタをつけ、ノコギリを持って山に入る。子供たちが集めてきた虫たちを入れて奉る社は、午後から全員で草や木で飾り付ける。こうして日暮れを待つのが毎年の習いである。
灯の行列は虫たちの葬列だ。哀調を帯びた掛け声も灯の揺らめきも、幻想的なだけに弔いの哀しみを纒っている。
悪い虫を「退治」するだけなら、こんな行列は要らない。古くから子供たちが伝えてきたのは、虫たちの冥土への道を灯りで照らし、精一杯の荘厳(しょうごん)を手向けて彼らに詫びる気持ちなのだ。いのちを奪うことへの畏れと感謝と、大人たちが丹精する農作物への護りとが、こうした行事を育んできた。知られることもない控え目な灯の行列が繰り返される限り、小さき者たちのいのちを真摯に見つめる心根は失われないだろう。
行事を伝承するとは
奥会津のような山間地の暮らしは自然や農林業との関わりが深い。自然は、破壊と恵みの極端から極端へ翻る力を持つゆえに、山の神、水神、鳴神など、見えざる神として君臨してきた。
「豊かな自然ね。」と平らに均した言葉には、この見えざる神の存在はない。破壊と恵みの両極を司ってこそ自然は健全なのだということを、山の民は骨の髄で識っている。
御し難い自然の力に対しては、人々は身を低