福島県教育センター所報ふくしま「窓」 No.139(H15/2003.7) -002/036page

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め、敬い畏れるしかない。人問の非力さを認める姿勢こそが、人間の奢りを律し、虔敬さや感謝の真の姿を素直に表現する源であった。

これは教わるものではなく、感じ取るもののようだ。様々な自然の脅威に対しての高度な防御策が成され、暗闇もなくなった現代に神々は見えにくくなった。しかし、見えにくくなっただけで「不在」ではないのだということを忘れてしまったのは悲惨なことである。見えざる存在を感じ取る能力が退化した人間は、自らが非力であることも忘れてしまう。

自然から学ぶ最も大切なことは、いのちの有限とその営みのダイナミズムであろう。草木や虫にも人間と等しくいのちがあり、人間もまた有限の生であること。だから慈しみ合えるのだということ。それはおそらく、人間が人間であることの最も本質的な姿だった。それが見えないと、精神構造の成熟した核もなくなる。

こうしたことは教科書からは学べない。管理された総合学習でも学ぶことはできない。自力で感じ取るしかないのだ。その力を育むための環境が消え去ろうとしている今、奥会津に残る高度な精神文化を様々な角度から拾い集めて伝え残したいと願っている。

真の伝統が伝承されているところには、必ず伝統に貫かれた精神が生きている。意味を感じ取る場があるからだ。奥会津に残る精神の文化は、どこの地域でも探せるものだ。振り返って自分を探す場はいたる処にある。ただ、そこに至る道が見えない。

現代の子供たちは、生まれたときからこの厚い壁に挑まなければならない厳しい時代に生きている。道が見えないほど不安なことはないだろう。私たち大人は、出来得る限り彼らの歩く道を少しでも明るく照らす責任がある。

「言葉」も確かな灯りになり得る。皮相的な概念しか持たない、例えば「環境にやさしい」などという薄っぺらな言葉ではなく、血を吐くほどに探した自分の言葉を差し出せたらと思う。

(遠藤由美子のプロフィ-ル)

三島町生まれ。フリーライター、雑誌編集等を経て、平成4年から昭和村のからむし振興に携わる。平成9年、奥会津書房設立。現在は、奥会津書房編集長、三島町広報員として活躍。
奥会津は、心の豊かさを育んでくれた日本のふるさとの原風景をまだ残している、数少ない地域である。奥会津書房は、奥会津地方の文化や生活を見つめ直し、地域に根ざした出版と文化交流会などを通して、地域の活性化と豊かな情報発信のために活動している。


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