社会科しりょうわたしたちの梁川町-067/084page

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年表
※太字は学校のできごとをあらわします。
※町全体のことは梁川地区にのせました。
梁川地区
できごと
昭和19 ○戦争はげしくなり品物が買えなくなる
できごと
20 ○太平洋戦争おわる
明治4 藩の名で学校つくる 22 ぎむ教育9か年となり中学校できるPTAできる
5 ○ゆうびんとりあつかい所できる 23 子ども銀行はじまる
6 陣屋の建物に小学校をおく 給食はじまる
12 ○旧梁川町役場ができる 24 ○梁川高校が男女共学となる
○梁川・保原間が県道となる 校内放送はじまる
13 ○けいさつ署ができる 26 ○このころメリヤス工業さかんになる
21 ○蚕業とりしまり所できる 27 ○公立藤田病院ができる(国見町)
22 "○梁川村が町となる(人口4,715人)" 28 校しゃのしょうじ戸をガラス戸になおす
○農業と商業をかねる家が150けん 29 ジャングルジム・シーソーなどつくる
○天神さまに市がたち、4と9の日にきいとがとりひきされた 30 ○1町6か村ががっぺいして梁川町となる
24 ○東北線が開通する ○このころメリヤス工場たちはじめる
29 そうま地方へ6日間の修学旅行をする 32 町の水道が学校までひかれる
33 現在地に校しゃをつくる ○梁川橋かけかえる
40 ぎむ教育か6か年となる 33 ○国保病院できる
42 ○伊達学館ができる(こうこく寺内) 34 小・中のプールをつくる
43 ○梁川・保原間にけいべん鉄道開通 ○公民館ができる(現福祉会館)
○電とうがつき電話加入者ふえる(46戸) ○役場を栄町につくりかえる
大正2 ○あぶくま川、広瀬川大水家、田畑流される ○このころから自家用車ふえる
3 ○蚕業しけん場できる ○このころからテレビがふえる
7 ○このころ、せい材所、ぼうせき会社、蚕種会社できはじめる 35 校歌できる
8 ○実科女学校できる 37 こてき隊できる
9 こうどうできる ○有線放送はじまる
11 ○銀行できる 38 完全給食となる
14 ○私立保育園できる(9年と14年に2つ) ○共同しにょうしょり場できる(粟野地区)
昭和2 ○梁川・福島間に電車が開通する 39 ○しょうぶざわに町営住宅できる
○あぶくま川に梁川橋がかけられる 40 特しゅ学級できる
4 "校しゃそうちくする(児童数1,173名)" ○町章ができる
5 ○梁川・福島間にバスが開通する 41 町立ようちえんできる
7 ピアノがきふされる 今の校しゃができる
11 ○このころ、まきストーブ入る 校内テレビ放送はじまる
12 ○広瀬川の堤防工事はじまる 幼・小・中共同の給食室できる
18 ○大水で田畑が流れる 45 ○自動信号機つけられる
19 そかい児童がくる ○電車がはいしされる

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