社会科副読本第3・4学年 わたしたちのきょう土 おおたま - 125/129page

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れからの工事のすすめ方やお金のことなど、どうするか話し合いました。
 一九六五年(昭和四十年十月)に、大山地区(岩高諸田向部落(いわたかもろだむかいぶらく))が、一番さきにこの部落にある田んぼの工事にかかりました。広さは、四万二千五百平方メートルで、七百七十七万七千円の予算で、二か年でこのほ場(米づくりの仕事がしやすいように、田んぼの形や大きさをなおすこと)せいび工事を終わりました。
 一九六七年(昭和四十二年)に大玉村の東がわを、東北自動車道がとおるのにあわせて、ほ場せいび計画がたてられました。
 一九七〇年(昭和四十五年)から工事がはじまり、一九八○年(昭和五十五年)まで、千二百二十ヘクタールの田んぼをせいびしました。そのひ用は、二十五億三千七百万円にもなりました。

せいびされた水路
(せいびされた水路)

機械化されたようす
(機械化されたようす)


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