平成14・15年度版 ふるさと郡山の歴史 -021/041page
【100年位前になると…】
郡山はますます人口が増え、製糸業(せいしぎょう)もおこったため、水がたくさん必要になり、皿沼水道さらぬますいどう)ではどうすることもできなくなってきました。そこで、「郡山水道会社」(こおりやますいどうかいしゃ)をつくり、多田野(ただの)村(今の逢瀬(おおせ)町多田野)から木管(もっかん)をつなぎ合わせて水を引くことにしました。これは、多田野水道の水源(すいげん)になった逢瀬町多田野にある清水池(しみずいけ)です。今も清らかな水がわきだしています。松(まつ)の木をくりぬき、10キロメートルにもわたる水道を完成(かんせい)させたのです。これが多田野水道です。
県内では1番、東北では3番目にはやい近代水道なんだよ!
【今の郡山の水道は…】
1910年、多田野水道と安積疏水(あさかそすい)を水源にして、配水管(はいすいかん)は竹や木ではなく全部鉄管(てっかん)の近代水道の工事が始まりました。この工事は、とてもお金がかかりました。2年後の1912年、郡山に本格的な上水道が完成したのです。こうして、郡山の人々が猪苗代湖(いなわしろこ)のゆたかな水を飲めるようになったのです。さらに、上水道は広がり、現在(げんざい)は猪苗代湖、三春(みはる)ダム、逢瀬(おおせ)川、深沢(ふかざわ)川を水源にして、現在の郡山市民の生活を支えています。
このように、ゆたかな水を求めてあらゆる努力を積(つ)み重(かさ)ねてきた先人(せんじん)の努力(どりょく)が今のわたしたちのゆたかな生活につながっているのです。
行ってみよう!そして先人の努力のあとを感じよう!
●皿沼の水神さま 清水台1-3-8 郡山商工会館入口
●清水池 逢瀬町多田野字木置場49
●郡山水道局 豊田町1-4 電話932-5236
※安積疏水については「わたしたちの郡山市 第4学年」(郡山市小学校社会資料編集委員会編)にくわしくのっているのでみてみよう。