道づくり
塩の道でなく,御斎所繍街道を利用するようになったのは,どうしてかな。
御斎所街道が今のような道路になったのは,いつごろかしら。
おじいさんの話
三株山をこえる道は,せまくて急な山道で,人や馬は通れても,荷車は通ることができなかったんだよ。
1890年(明治23年)のことだが,その不便さに苦しんでいた人たちは,けわしくきけんな御斎所街道を,広くて安全な道になおすことを考え,県に工事をねがい出たんだよ。翌1891年(明治24年),県のゆるしを受け,いよいよ工事がはじまったのだが,今のような機械もなかったため,多くの人と日数がかかり,きけんな場所では命を落とす人まで出たんだよ。だが,翌年,人々の長い間のねがいであった工事は終わり,御斎所街道は県道になったんだよ。
▲御斎所街道の工事が終わった喜びをよんだ句碑
当時の工事のようす
国会の開けるけふと諸共に
共に開らける御斎所の道