塙町の文化財 -091/105page
台宿の米山薬師祭典
旧暦七月晦日の夜より八日朔日の朝にかけての祭礼行事、晦日には、午後より米山登拝が始まるが、往時はその列"螻蟻の列の如し"とあったように、引きも切らず、参道に列をなし、山頂へ連なったと、いい伝えられている。その参拝者は、南は遠く馬頭以西からも徒歩で参加する程であり、夜を待って盆踊りへ参加した。夜の盆踊は、宿内に設けられた櫓を囲んで、夜明まで踊り明かされたとのことである。
民家でも、今日とは違い廊下、家内まで解放して休憩所に当てたこと故、踊っては休み、休んでは踊りの列へ入る、としたことで短夜を終夜踊り、夜明けを待って解散したという。
今日では、全く考えられない供養盆踊りの大祭であった。最近では、薬王寺境内に、時間をきっての盆踊り行事となり、伝統を継ぎ守る祭礼行事となっている。
四月祭(春祭り)
往時の四月祭りは、旧暦四月七日の宵祭から、十八日の本尊帰山まで、長期にわたる祭礼である。
その間、縁日と呼ばれる日には、特に参詣者が多かった。七日の宵祭は、午後より夜にかけて、米山々頂より、本尊薬師を台宿の薬師堂へ遷す行事があり、それに伴なう梵鐘を担ぎ運ぶ行事があり、"鐘揉祭”と呼ばれたことである。
先ず薬師本尊は古い御輿により、信徒の年輩者十六人に担がれ、多くの提灯に導かれながら行列をつくり、その後へ続く、梵鐘は、丸太二本に結んで、多くの若者たちに担がれ、道中を揉み合い、鐘を打ち鳴らしながら薬師堂へと運ばれる。