北会津村誌 -003/534pag
ぎ出るが、この川筋をさかのぼる通路も古くから開けていた。この水路に沿う磐越西線をたどってはいってくると、やまとで峡谷から離れてトンネルを過ぎ、やはり忽然と、この桃源の会津盆地の北半が展開するのに、驚異の眼を見はるであろう。
会津盆地はこのように、東北日本の脊梁をなす奥羽山脈と、裏日本に沿う越後山派にはさまれており、裏日本の盆地列ともいわれる大館・横手・新庄・山形・米沢とつづく盆地の最南端に位置して、東京・仙台より、幾本かの直通列車を入れてみても、地理的位置からは、桃源の春の美しさはあるが、みちのくの山里である。きびしい後進性を脱して、生きぬく努力の課せられていることを、承知していなければならない。
2、複合扇状地上の中州の北会津村とその広さ
会津盆地の四周には、盆地の面積の数倍も広い、高く、険しい山地がある。その西半の奥会津山地の水は、只見川に集められて、盆地に出ないで、山都町近くで阿賀野川に合するが、東半、奥羽山脈までの水、南は駒止・中山・山王峠から、北は米沢境の大峠・檜原峠、東は中山峠まで、その一部が安積疏水と羽鳥ダムによって中通りの阿武隈川方面へ分水されるほかは、全部が会津盆地に流れこんでくる。
四周の山深い山地は、若い峡谷が深く侵蝕して、急流をなしているが、低平な盆地に出ると、急に速度をゆるめて氾濫し、洪水の度ごとに流路を変え、侵蝕して運んできた土砂を置きはなしてしまう。その堆積した地形が谷の出口を扇の要(かなめ)のように、頂点として、扇状に拡がるので、これを地理の言葉で扇状地と呼んでいる。
大川は会津本郷町の東南、弁天山の東端、岩崎山の急な崖を頂点として、会津盆地の南半に大きな扇状地をつくっている。同じように宮川は、会津高田町南の高橋の峡谷を頂点として扇状地をなしており、南の関山方面か