北会津村誌 -005/534pag
トルであるが、役場の位置でほぼ205メートル、ここに19の大字と41の部落に分れて、約7,500余人が生活を営んでいる。これをよく解き、理解しないでは、この村は解けないし、住みつくことも、将来の発展も期せられないということになる。 3、荒れ川の橋を渡る交通 古い時代には、日本の文化の中心は関西方面にあった。日本の島は孤状をなしているから、日本海に沿うて越 会津若松より北会津村を通り、会津高田町に通じる高田橋 北会津村の大関門、蟹川橋 蟹川橋・大川はこの辺で氾濫が激しく、幅は550メートルに達する
トルであるが、役場の位置でほぼ205メートル、ここに19の大字と41の部落に分れて、約7,500余人が生活を営んでいる。これをよく解き、理解しないでは、この村は解けないし、住みつくことも、将来の発展も期せられないということになる。
3、荒れ川の橋を渡る交通
古い時代には、日本の文化の中心は関西方面にあった。日本の島は孤状をなしているから、日本海に沿うて越
会津若松より北会津村を通り、会津高田町に通じる高田橋
北会津村の大関門、蟹川橋
蟹川橋・大川はこの辺で氾濫が激しく、幅は550メートルに達する