北会津村誌 -009/534pag
その多くは、特に名称だけが残っていて、河原・葭谷地も清水さえごく小規模で、名残を止めるか、既にその痕跡さえ埋没されてしまっている。これらの河原・葭谷地・谷地・沼などの名称のある小地名は、この北会津村の土地の成因上より、古くはそのような河原の自然景観があったものと思っても、さして大きな間違いはないと思われる。各部落の名称や細かな地名とその由来は、わかるだけは調べてその伝承とともに後述しようと思う。
第2章 複合扇状地の地形
1、湖 盆 地 の 成 生
東北地方の地形は南北に走っていて、奥羽山脈と越後山脈・出羽丘陵との問に、縦谷的な凹地があって、ここに東北裏日本の盆地列がある。会津盆地はその南端を占めて、南北約40キロ、東西約12キロの南北に細長い盆地をなしていて、もとは湖をたたえており、それが排水して、乾上って盆地になった、所謂湖盆地であるといわれている。
西縁の南部、赤沢・新鶴の山麓と、東縁の南部門出村青木山山麓には、盆地列の他のものともよく似た、盆地の成因の一部をなしたと思われる断層地形がみられる。X字形の侵蝕した若い谷がよくみえ、その谷の出口を扇状地の要を頂として、断層崖下に特にみられる見事な扇状地の列と、その間に、侵蝕よりとり残された、断層線に沿う急峻な三角面の山地が盆地に向けて発達している。扇状地は小規模ながら、はるかに見事な形で並んでいるのは猪苗代盆地の東縁をなしている川桁山西縁(川桁断層崖という)で、これが猪苗代盆地や猪苗代湖の東縁を限る地形の重要な成因をなしているが、盆地の底に湖こそないが、会津盆地の成因の一部は、これとよく類似