北会津村誌 -010/534pag

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していることがわかる。

 しかし会津坂下町西縁から喜多方市西縁をなしている山麓は、大変直線をなしていて、それに類するものかと見易いが、これは第三紀層という新しい地層の弱い摺曲層が盆地を限っているためである。東縁北部の大半は雄国火山群の安山岩塊が横たわっていて、その山麓は火山岩屑の裾野に終っている。猪苗代湖の成因の、もう一つの主なるものは、この泥流押出しの火山岩屑による堰止めであろうと思われる。その南部の背炙山一帯には、広く石英安山岩の噴出物があり、その侵蝕地形は特に急峻をなしている。青木山にも火山岩塊の噴出がみられ、赤褐色を呈していて、俗に御山石と呼ばれている。

 しかし、俗に湖盆地とはいわれているが、現在の南北40キロにわたる盆地底を全部湖でたたえていた証跡をつかむことはむずかしい。湖岸段丘のようにみえる宇内・慶徳方面の山麓の台地が果して湖岸堆積物の痕跡であるかどうか。他の山麓の多くは、新旧の扇状地で、湖岸堆積物とはみられない。

 とはいっても、盆地底に、湖底堆積物らしいものが横たわる地域は、発見されなくもない。会津坂下町・塩川町・喜多方市新宮を結んだ三角地域には、会津で俗にドッコンスイと呼んでいる、自噴する掘抜井戸がある。この中には、いくらかのメタン瓦斯も含まれていて、一部では燃料に利用したことさえある。

 この瓦斯を大量に採掘利用しようと、昭和26年(1951)六月、会津坂下町西部で四ヵ所の試掘が行なわれた。一本は深さ108.8メートルに達し、ようやく102.70メートルに至って第四紀層の湖成沖積層が終り、基盤岩に達したと報じられている。(会津坂下町天然瓦斯開発企試掘資料、昭和26年12月)この間に天然瓦斯の母岩をなす泥草炭層・含炭化合物層が7層、合計31.15メートルあることが確認されている。他の三試掘は深さは60メール余にとどまったが、同様の互層がみられた。


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