北会津村誌 -018/534pag
て放射状に流れた幾筋かには、現在の荒れ川の大川の河原を思わせるような大礫層が横たわっている。この川筋は相当古いので、薄いが、肥沃な表土が一面に蔽うて、目にみえる河原はごく少なくなっている。所によっては薄皮まんじゅうのようにごく薄く蔽うているに過ぎないが、幾度かの洪水や永い開拓によって、既にその殆どが、ちょっとは目にふれないまでに、地下にかくれ始めている。この盆地の、東南隅から西北隅へ対角線状に流れた扇状地地形が、土質、基盤その傾斜など、すべての北会津村の土地構成の基本をなしている。その様態は、奥会津の山地に深い峡谷を刻んで、急に平野に放出されたもので、古くから知られた富士川、天龍川、木曾川などの、東海道式の荒れ川と何等変るところがない。
堤防の装備が漸次遂げられて、現在のような川幅に、静穏にしているようになったが、現在の河幅の最大、二日町辺より蟹川辺の700メートル前後は、実は堤防を払えば、ただちに四倍近い2〜3,000メートル程度になりかねない。この幅が大川に沿うこの氾濫原とも見做される。