北会津村誌 -019/534pag

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 次にもう一筋、大きな宮川の扇状地が、現在の会津高田町南の高橋辺の峡谷を扇頂として拡がっている。半径6キロ、下寺崎、安田、東側に越えて田中新村を結ぶ辺に、最も見事な扇状地地形がみられ、その扇端は濁川をあわせ、旧鶴沼川、現在の大川扇状地とあわさって、会津盆地底南半を複合扇状地地形にしている。

  4、阿賀川・宮川の変遷

 現在の盆地の堆積地形をみても、複合扇状地の状態がよくわかるのであるから、この間相互に河筋に変遷があったことは充分うかがわれ る。記録としては寛文12年(1672)脱稿の会津旧事雑考の天文5年(1536)の項に詳しく、洪水によるものであるから、次項に詳述するが、河川の名称についても、いろいろな変遷があるので、これを現在の名称に照合してなおしておかないと混乱し易い。

 鶴沼川というのは、現在宮川下流の新鶴村、会津坂下町東縁を流れる場合によばれている。これは、もとは、現在の大川上流でよばれた 名称で、岩瀬郡の羽取村鶴沼から出たから呼んでいたという。現在も鶴沼川と呼んでいる。大川が向羽黒東北の岩崎崖下から西北流して濁川に合い、つづいて宮川に合流した際、当時の鶴沼川が宮川下流で合流したことになるから、鶴沼川という名称がそちらに移って残るよぅになったと思われる。迷い易いから、現在呵賀川河川事務所などの

大川(阿賀川)の現在の中州(蟹川)
大川(阿賀川)の現在の中州(蟹川)


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