北会津村誌 -036/534pag
えたが、大川が現在の川筋に固定して以来は、それより以西の盆地の流水は、旧鶴沼川の流域である西半に集中するため、阿賀川に合流する鶴沼川辺の宇内・山崎に至る地域が、水位も高く、滞水期間も永く、被害も大になる。この大正2年の洪水が阿賀川改修の目標になっている。
7、阿賀川の計画的改修とその後の洪水の様態
1、泡の巻地内捷水路開さく 大正8年に最初に福島県で阿賀川の改修計画をした時、既に盆地から排水する下流のはめ入れ蛇行を切って捷水路を開くことが含まれていた。大正10年5月、これが内務省の直轄工事となっては、盆地最上流部の馬越から2キロ間の雨屋に至る除石作業から引きつがれた。この際、大川は官庁などの名