北会津村誌 -040/534pag

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盆地底より大川上流の山地に多く、大川・鶴沼川・宮川・湯川などで集水した大量の水が、盆地に急に流れ込んだという形で、古い記録と照合してみると、天文5年(1538)の6月28日の白鬚の水が、このような様相を呈してあったのではないかと想像される。

 これは阿賀川の洪水水位と、堤防決潰によるものではあるが、氾濫が岩崎山北方より、久しぶりに、ほぼ古い旧鶴沼川、次の鶴沼川堰、現在の本郷堰・麻生堰などの通じる、対角線状の低い旧河川の跡に拡がって、濁川を併せ、佐布川付近で宮川に合流、鶴沼川に、昔を思わせる異常な幅広い氾濫をしている。

 山科(喜多方市慶徳町山崎にある量水標所在地)では23日午前8時、7.54メートル、宮古は23日午前3時、4.90メートルに達している。これは改修後から現在に至る最高水位であるが、大正2年の山科の10.15メートル、宮古の5.526メートルには及ばない。雨量が大で洪水位の低いのには、山崎捷水跡開さくによる水位低下1.138〜1.179メートルの河底低下を入れなくてならないが、山科量水標では、それでも遥かに低い水位に止まっている。発電所建設による猪苗代湖水位の、完全な人為的調節、その他いろいろの要因が考えられるが、河川改修の効果も顕著ではないかと思う。この際の水害調査があるが、これによると、死者1、負傷者2、住宅流失9戸、同浸水973戸、非住宅家屋の流失3棟、浸水522棟、堤防・水路の破損59ヵ所、田畑の埋没4.266ヘクタール、この損害家屋は、当時のお金で92,640円、堤防類で75,318円、耕地・収穫物で20,310円、総計1,028,928円に達した。

 住宅の浸水、田畑の埋没をやや詳しくとりあげて、この洪水の被害地域を調べてみると、会津盆地では住宅浸水が、玉路20、門田87、本郷50、川南50、神指250、勝常38、金上62、広瀬6、川西1、坂下58、藤川5、永井野50、若松市23、町北60、高野52、塩川100となり、流失は玉路5、耶麻堂島2


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