北会津村誌 -043/534pag

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

 しかしこの洪水での堤防決潰は、耶麻郡堂島村大田木地内の濁川左岸280メートルが顕著なだけで、堤防の表法決潰は、阿賀川本流の青木地内で100メートル、会知地内で200メートル、立川地内で100メートル、神指南四合で300メートルに達したが、北会津村地内では被害は比較的少ない、真宮地内で100メートルの決潰にとどまった。これらは復旧費だけで12,000,000円にも達したが、改修の効果は各地域で認められ、住みついている人々にも、洪水に対する人為的構築の威力を示した観があった。

 昭和23年の台風はアイオン台風と呼んでいる。9月15、16、17日の田島の連続雨量は201.4ミリ、若松101.5ミリ、坂下106.0ミリ、喜多方109.0ミリで、カスリン台風に較べてはるかに少なく、宮古量水標の最高水位も4.30メートル、山科で6.00メートルにとどまった。

 被害は床上、床下浸水300戸、宅地33戸、水田1,540町歩、畑580町歩、流失・埋没、人的被害としては死者2、傷者1を出している。堤防決潰は神指中四合地内250メートルほどで、他の改良個所では、耶麻濁川左岸小段が3ヵ所、計450メートルが決潰、同じく田付川左岸30メートル決潰、阿賀川本流では、左右両岸数個所に洪水敷欠け込みがあった。しかしこの復旧費は容易でなく、36,680,000円にも達した。

 昭和24年のはキテイ台風とよんでいる。8月31日相模湾から上陸して、中心は熊谷市を通過して新潟県にぬけた。ために31日午前10時頃より降雨、翌9月1日の2日連続雨量若松104.3ミリ、8月30日より降雨をみた田島の3日連続雨量215.5ミリ、福良241.8ミリ、湯本382.7ミリと奥会津の一部には豪雨があった。特に湯本に局部的大豪雨があり、400ミリ近い東北地方では異常な大量降雨のあったことは注意しなければならない。それは、嘗て北会津村を対角線に放流した旧鶴沼川の本流が、この湯本方面の降水量を集めてきているからである。このような気象状態は、古い時代からみてくると、決して偶然的現象とは思え


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は福島県北会津村誌編纂委員会に帰属します。
福島県北会津村誌編纂委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。