北会津村誌 -051/534pag
大同 元 806 磐梯山破裂、月輪、更科の2荘水没、洪水同3年まで続く。 貞観 元 895 陸奥国水あり、民大いに苦しむ。 会津に関しては不明 応永 26 1419 7.28 陸奥、東海の地洪水あり、民大いに飢う。黒河川今より羽黒下押切り、鶴沼川という。黒川もと鶴ヶ城北にあり、今秋城南に移す。 塔寺長帳会津旧事雑考 31 1424 1.2 大水増 塔寺長帳 33 1426 6.9 8.6
9.3
洪水黒川、赤沢川まで達し、田地皆損ずと。 会津旧事雑考 34 1427 8.6 8.27
9.4
洪水、人民多く死失す。 塔寺長帳 永享 元 1429 6.9 会津大洪水 文安 4 1447 7.25 洪水、大風雨、塔寺八幡宮の華表倒れる。 享徳 元 1452 洪水 永正 13 1516 6 12.30
6月大水増で馬・人流され、耕作のこと申すに及ばず。 12月30日洪水。
塔寺長帳 15 1518 7.14 洪水、7月14日大水、坂下の薬師堂の柱半分まで水つく。 塔寺長帳 大永 3 1523 5.19 洪水 享録 3 1530 10.1 出水、町へ入る。 塔寺長帳 天文 5 1536 6.28 会津大洪水、白鬚の水という。塔寺坂下間水深8尺あまり、蟹川佐野村を経て日橋川に合す。大川という。岩崎山より橋爪村に至る2里埋没陸地になる。 19 1550 8.3 夜洪水、人死す。 塔寺長帳 永録 3 1560 会津大洪水