北会津村誌 -062/534pag
・5度、10日ほど前の高温で7月11日に37・3度という記録を残し、恐らく、これらが会津盆地底の内陸性気候の最高温ということであろうと思う。
この真夏が終って秋に移る201日、20日頃、会津地方にはやはり台風がやってくる。低気圧の中心が、まともに盆地中央を襲った例はごく少ないようであるが、昭和16年はやはり梅雨が明けようとした7月21日、2日にきた熱帯性低気圧による暴風雨で中心示度は720ミリ、遠州灘より上陸して、ほぼ中心が会津地方を通過した台風の著例である。この詳細は洪水の項で述べたから再述しないが、大川の大支流、鶴沼川に沿う湯本で309.9ミリもの豪雨があった。その時会津若松で一日148.9ミリの連続雨量の記録があるから、昭和38年の一日最大雨量57.0ミリ、39年39.1ミリ、40年60.6ミリなどと記録してみても、上流に著大量の雨が降れば洪水をもたらすのであるから、特に連日降りつづく際には、この連続雨量も計算してみなければならない。
会津地方の風は、勿論東南アジアの季節風帯に属して、夏は東南風、冬は西北風が卓越して吹くが、特に冬の西北風が、雪をもたらして、強く吹きつけるから、そのための防備態勢が屋敷林の構え、特に、冬の雪がこい、葦や藁などで、屋敷の西北隅を防塞化する風景などが日立つ。そのために、屋敷の西北には、常にけやきや、