北会津村誌 -068/534pag

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被害が比較的大なのは、奥会津山地の降雨量が、時に、局部的に大で、嘗ての鶴沼川の大氾濫をふりかえってみると、田島地方よりも、今は大川の一支流に過ぎない鶴沼川上流の湯本の降雨量の大きいことは、注意しておく必要があるように思う。しかも奥会津の集水地域は広く、これが盆地に注ぎこんで、一旦荒れ川式に放流すると大洪水をひき起すことになる。

 大川即ち阿賀川の集水地域は一応2,741.9平方キロと計算されている。阿賀川上流のいくつかの雨量を集計して、下流の量水標との関係をみると・洪水の盆地に氾濫する様態が大体わかる。この既測定資料の双方整ったものは比較的少なく、ここでは昭和5年以後のいくつかの例を拾ってみよう。昭和27年まで23年間でみると、8年、17年、21年、26年、27年の5回は、3月から4月にかけて量水標の水位は高くなっている。田島にはこの間降水量が少ないことが多いので、春の融雪のための出水かと思われる。フェーン的な風が春先に吹き下してくると、降雨はなくとも、急に融雪して増水することがある。これは裏日本式深雪地帯として注意しておく必要がある。

 昭和14年8月の場合は、田島では4日より降り始めて、当日11.7ミリ、翌5日83.6ミリ、6日0.5ミリであるのに、水位は宮古の6日5時が最高3.50メートル、会津盆地全域からの集水で、条件も相当変ってはくるが、山科で6日の6時に4.08メートルを示している。宮古、山科間の河川に沿うた距離は8.6キロほどあるが、この雨量水標の最高水位の時間的差異は、特別の事情が現れない限り1〜2時間程度ではないかと思われる。奔流の緩急、河川の蛇行のほかに、堤防内川幅の中の流路の変遷、蛇行があって、これもどの程度適確なものかは、洪水によって流速が異なるから明確ではない。降雨地域の差異では大きくくいちがう。

 4、大正2年の洪水の水位計測とその後の改修効果 大正2年の洪水は、阿賀川改修の計画基礎にもなってい


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