北会津村誌 -069/534pag

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るので、洪水の様態は既述したが、その降雨最がどのように洪水になっていったかの、水位計測の資料を若干述べて、洪水になってゆく様子を計数的にも検討しておこうと思う。

 8月25日から降りはじめて、田島で23ミリ、南郷で0.6ミリ、高田で0.4ミリで、会津盆地の他地方には降ってない。翌26日には田島で88.6ミリ、南郷で35.0ミリ、高田で46.0ミリ、若松で49.0ミリなど、猪苗代湖南岸の福良では126.3ミリにも達したが、盆地の方の量はあまり大でなかった。翌27日が本格的な降りで、田島では136.0ミリ、3日間の連続雨量は226.0ミリにも達した。昭和16年7月21、2の連続雨量258.5ミリよりは低く、若松でも27日の122.0ミリを加えて171.0ミリに達したが、昭和31年7月15、6の連続雨量は184.2にも達したことがあるから、この程度で洪水になる様態を知っておく必要がある。27日の高田の雨量は92.9ミリで、3日間で139.3ミリに達し、これも昭和31年の319.7ミリには遥かに及ばなかったわけである。

 しかし大正2年の場合は、阿賀川の本、支流の水位は異常に高められた。山科量水標では175.48メートル、旧量水標の標高は165.903メートルであったから、それより9.577メートルも高く、新量水標165.15メートルよりは10.33メートルも水位を増している。これはその後の最高昭和16年7月23日の7.54メートルよりも2.79メートル高いが、この際の田島の連続雨量は258.5ミリで、これは、泡の巻以下の捷水路開さくによる1.138〜1.179メートルの河床低下を計算に入れると、これを差引き1.611メートルとなり、理解される。これだけの改修効果はあったことになる。

 宮古橋量水標は183.26メートルで、○点が177.54メートルであるから5.72メートルの増水ということになる。宮古のその後の最高水位は、やはり昭和16年の4.90メートルであるから、それよりも0


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