北会津村誌 -073/534pag

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

の山地を侵蝕、運搬した堆積土のみからなっている、所謂中州的な土性よりなっている。

 土性の分類は、北会津郡管内といっても、当時は周縁山地にも及んで拡がっていたから、その図面により、幾種もの分類がみられるが、現在の北会津村に含まれるものから拾ってみると、最も熟化したのを植土とし、これは田村山の北から、和泉・鈴淵の間に横たわっているに過ぎない。扇状地の末端をはずれかけた、盆地底の堆積土壌とみられる。表土としての植土の厚さは30〜80センチで、下部には、相当深くなって砂礫があらわれることもあるが、殆どそれらしいのを見受けない地域もある。これがやがて塩川、坂下町付近の下部に湖底堆積物をもち、どっこん水などの掘抜井戸の湧水する地域につづくものである。

 つぎは相当熟土化している植壌土が、扇状地面に所々分布している。鷺林から本田にかける、所謂百騎沼湿地帯の西に拡がる段丘地形のもので、比較的早く扇状地の氾濫からまぬがれて、土壌化した肥沃なる地域である。柏原付近、東麻生付近、南では西後庵から下野の問に、西部の湿地帯に対して段丘地形を呈しているもので、早くから複合扇状地にはさまれても、氾濫から頭をもたげた地域であると思われる。場所によって表土の厚さは異なるが、やはり30〜80センチくらい。ただ下部に砂礫層が横たわり、場所によっては表土の下部に植土が120センチもあるのに、下部には部厚い砂礫層があるというような形である。

北会津村土性図(明治35年農商務省地質調査所による)
北会津村土性図


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は福島県北会津村誌編纂委員会に帰属します。
福島県北会津村誌編纂委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。