北会津村誌 -081/534page

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第二編 開発の歴史と村の政治経済

第一章 初期の開発

一、会 津 の 黎 明

 東北地方の文化が、近畿より中部、関東を経て北漸してきたことは、史実がよく物語っている。福島県は東北 地方の南端を占めて、浜通りなり、中通りの阿武隈川流域は、関東より北漸した文化の廊下のような役割を占め 開発も早く、その一部は阿武隈山地のこまかな山ひだに住みついた村々に、古い文化の名残を止めている。

 会津地方は山深く、この南北に走る縦谷地形よりそれているため、会津盆地の一部には北漸文化の通った跡も うかがえないことはないが、比較的独自な地域として文化を育ててきたようにみえる。

 日本列島は弓状をなしていて、近畿文化が日本海岸の海陸に沿うて、その距離も比較的近く、海流・沿岸流の 影響もあって、東北地方では北漸が表日本に比較して早かったようにさえみえる。さらに、地形や気候的には、 日本海沿岸は現在裏日本のようにみられているが、もともと日本の文化はアジアの大陸方面より渡ってきたもの が大部分であるから、中国の文化が、朝鮮半島を廊下として早くより日本海岸にたどりついているものもあるよ うにみえる。

 この越後、即ち古志、越の文化が、古くはおね越えで、例えば、北会津村の大部分の村々がなお産土神として


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