北会津村誌 -087/534page

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人層ともいうべきも のになり、所謂貴族 文化が形成されて、 墳墓がなお数多く造 られるが、横穴式石 室というようなもの になって、塚を築く ということが消えて ゆく。この四世紀末より奈良朝の初期までの、陵墓に 模して塚を構築した時代を古墳時代といっている。

 初期には自然の丘陵などの上に円墳、又は日本独特 に考案されたともみられる前の方にやや低い四角の祭 壇的なものをつけ、後の円墳とつなぎあわせたような 前方後円墳というものを構築している。会津地方の開 発は盆地周縁が早いから、会津若松市の大塚山頂に全 長九七・五メートルにも及ぶ前方後円墳がつくられた やがてこれが盆地底にも及んで、会津坂下町の青津に

真渡の寺田より大正年代出土した土器
真渡の寺田より大正年代出土した土器(手代末長松蔵) 

真渡稲荷宮より出土した須恵器
真渡稲荷宮より出土した須恵器(須恵質の簡素な作りで平安時代のものか)(手代末長松蔵) 

     

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