北会津村誌 -090/534page

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田村山古墳出土の蕨手刀

田村山古墳出土の蕨手刀
(坂内万著会津田村山部落に於ける古墳 歴史と地理昭和14年2月による)

年前、その終り頃とみて、おおよそのまちがいはないものと思う。

 田村山古墳については、発掘して間もなく視察した坂内萬の報告がある。(会津田村山部落に於ける古墳 昭和 十四年二月、歴史と地理)これによれば、天明中、灰塚というのから管のような青石数枚と破鏡を発掘したとい う新編会津風土記にのっているものは、既に原形を認め得ないまでに破壊していたという。「会津温故拾要抄」 には灰塚は高さ六尺、周り二十間余、その東三十間余に糠塚というがあり、高さ九尺、周り三十間余、東西相並 ぶ。とあり、糠塚の方が主墳で、灰塚は陪墳のようにみえる。現在塚の腰といっているものは、この糠塚に相当 しているかと思う。

 昭和十一年灰塚を発掘した時、副葬品として漠鏡?青銅?原形を止めないまでに破損、(内行六花鋸歯文鏡)、 もう一面半月鏡、これは文様はなく、表裏ともに青銅のよう な光沢があった。それに、蕨手刀、これはその後佐賀瀬川 からも見事なものが発掘されたが、分布が東北地方にかた よっている珍しいもので、そのスケッチを掲げてみる。硝 子小玉、小管玉なども出土している。これらは現在県文化 財として指定しているものと同じ物であろうと思うが、現 在村人は糠塚出土と伝えているのに、この報告では灰塚と している。

 北会津村は大川・宮川の複合扇状地の開墾地であるから河原・湿地が多い上に、表土で蔽われていても、薄皮まん


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