北会津村誌 -106/534page

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中荒井村千葉家文書
中荒井村千葉家文書
  (寛文9年―1669頃は大沼郡中荒井村とある)

 中荒井組では中荒井・二日町・東麻生・宮袋・官袋新田・寺掘・今和泉、これは今泉とも書いている。鷺林・ 本多・端村新田、これには本田とは書いていない。十二所新田・宮下・荒田、これも安良田とはない。下荒井・ 端村平大屋敷・蟹川・端村に小出。川崎・礫宮、これに宮という字がつき、小戸数でも一つの村としてある。真 綿、真渡とはない。端村鈴淵・中里・石原・田村山・館・出尻・台・和泉。

 橋爪組では上米丘と塚でなく丘を書き、宗頤町と出新田がつい ているが、宗頤は本郷町にはいった。同じく上荒井と上荒井新田 も北会津村からぬけている。下野・端村出新田・金屋・端村西後 庵それに西後庵新田が独立してみえる。北後庵・新在家・下小松 これは上小松に対して下小松という名が、後々までついていた。 松野はその端村となっており、四つ壇は端村でなく、本村に含ま れていたらしい。二堂と書いてふたどうと読むが、今の両堂のこ とである。下米丘。端村出新田・柏原・西麻生、これに端村とし て出新田・古屋敷がついていた。大嶋に端村出新田がつく。ここ に天満の名が見えないのは、当時高田組の佐布川の端村取扱いを 受けていたためである。

 当時中荒井組も橋爪組も大沼郡に属していたことは、寛文五年 の書上げや、各村の記録をみてもはっきりしている。  元和元年(一六一五)頃軽井沢銀山が再び盛んになり、下荒井    

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